世界で唯一|マーチン社のチャレンジと誕生秘話

1968年にマイク・ロングワースによってD-45仕様にコンバージョンされたカスタム品

Martin 1953年製 D-28/'45 CONVERSION
by Mike Longworth

マイク・ロングワースによる
至高のカスタムギター

〜Martin D-45 再生産時期にマイク・ロングワースによりD-45仕様にカスタマイズされたD-28の秘密に迫る〜

Mike Longworth

マイク・ロングワース(1939–2003)
D-45の再生産やマーティン社の歴史保存に大きく貢献した人物。 テネシー州チャタヌーガ生まれ。 1955年、当時高校生だったマイク・ロングワースは、すでにインレイ作業を仕事として請け負っていました。 初期の作品の多くには、パール素材でかたどられた「L」の文字がインレイされ、これは彼自身の作品であることを示すサインでした。また、その「L」には製作順を示す番号が添えられており、彼の仕事の軌跡をたどる手がかりとなっています。 偉大なブルーグラスユニット、フラット&スクラッグス周辺のミュージシャンたちとも深いつながりがあり、実際に彼の3番目のインレイ作業は、ドブロ奏者のジョシュ・グレイヴス(Buck “Josh” Graves)のため、4番目はマンドリン奏者兼テナーシンガーのカーリー・セクラー(Curly Seckler)のためのものでした。

そして1956年には、ラージピックガードのD-28をトレードマークとしていたレスター・フラットの1950年製D-28のカスタムを手掛けました。 このギターの指板上にも「L-5」というインレイが施され(ロングワースの仕事番号#5)、さらに彼自身の名刺がサウンドホールの内側に貼り付けられました。 (17歳にして5本目の仕事をこなし、その相手があのレスター・フラットであったことには驚きを隠せません。)

※IMAGES of America C.F.MARTIN & CO. by Dick Boakより抜粋(写真)

1950年代から60年代後半にかけてD-45の生産が中止されていたことから、D-28にアバロンのパール装飾を追加し、D-45のような外観に仕立てるという需要が高まっていました。

こうしたマーティンギターへの豪華な装飾を求めるプレイヤーたちの熱烈な声とは裏腹に、当時の社長マーティン3世が抱いていた自身の美意識(=簡素さから生まれる気品)のためか、戦後長きにわたり、マーティン社としてきらびやかな装飾を持つ高級ギターの再生産には踏み出せずにいました。

マイク・ロングワースはマーティン社に所属していませんでしたが、1960年代初頭からマーティン社向けにインレイ入りのネックや指板を製作。その活動を始めたごく初期に、自身のためにカスタムした1本をリフィニッシュの依頼としてマーティン社へ送ったところ、彼の卓越した仕事を見たマーティンのセールスマンが、彼の見積もり表を持つようになったといいます。

このような経緯で、マーティン社は「派手なギターは作らない」という公式の方針を維持しつつも、時にロングワースに製作を依頼し、顧客のニーズに応えるようになったのです。

その一例であり「究極の仕事」と称されるのが、ハンク・スノウのために製作された1966年製のD-28です。 マーティン3世自らマイク・ロングワースに電話をかけ、ハンク・スノウのためのギター製作を依頼しました。 ナッシュビルのマーティン正規ディーラーでもあったハンクは、ロングワースの家まで赴き、カスタムの詳細について打ち合わせを行いました。 ギターは完成前にロングワースのもとへ送られ、見事なアバロン装飾が施された後、ナザレスへと戻りマーティン社によって仕上げられました。 「The Snow Job」と呼ばれたこのハンクのD-28/D-45コンバージョンモデルは、パールインレイが施されたピックガードや、マザー・オブ・パールで仕上げられたC.F.マーティン・ロゴが、特別な輝きを放っています。

※MARTIN GUITAR MASTERPIECES by Dick Boakより抜粋(写真)

※Martin Guitars : A Historyより抜粋(写真)

〜 マイク・ロングワースの功績 〜

マーティン最上位機種D-45の復刻

「The Snow Job」を完成させた後、マーティン3世はマイク・ロングワースにこう語りました。
"I was offering D-45 customizations put the pressure on them to make them. "
「君がD-45のカスタムモデルを提供していたことが、我々に再生産のプレッシャーをかけたんだよ。」

というのも、世間からはこんな声が上がり始めていたのです。

「マーティン社は昔D-45を作っていたし、今もギターを作り続けている。それなのに、わざわざテネシーにギターを送って装飾させているのか? 自分たちでD-45を作れるはずじゃないか?」

こうした声が、D-45再生産に向けてマーティン社を動かす大きな原動力となりました。

そしてついに1968年7月、マイク・ロングワースは新しいD-45のインレイを担当するため、マーティン社に正式に加わりました。 その時点で、すでに2本のサンプルが製作されており、ロングワースの他には2人のスタッフがいました。

復活を遂げたD-45は、ハカランダモデルとして1968年に67本、1969年に162本と、わずか2年でオリジナルD-45(戦前モデル、計91本)の生産数を倍以上も上回りました。

そして、マーティンの支持層であるカントリーやブルーグラスのミュージシャンだけでなく、デヴィッド・クロスビーやジミ・ヘンドリックスといったロックスターたちも手にしました。

そこからD-45は絶え間なく製作され続け、今もなお「トップ・オブ・ザ・ギター」として君臨し、多くのギター愛好家を魅了しています。

マーティン社の記録保存(リファレンスブックの執筆)

マーティン社におけるインレイ部門の業務が軌道に乗る中で、マイク・ロングワースは単なるクラフトマンの域を超え、「マーティン・ギターの語り部」としての役割を担うようになっていきました。

マーティンギター所有者からの問い合わせ対応や、各地のフェスティバル、ギターショーでの広報活動を通じて、マーティン社の「顔」としての信頼を築き上げていきました。

彼のヴィンテージ・マーティンギターへの並々ならぬ情熱と知識は誰もが認めるところであり、やがてその能力を買われてカスタマーリレーションズ・マネージャーに就任しました。 その職務の傍ら、社内の古い帳簿や資料、そして長年勤めてきた社員たちの証言に基づき、マーティン社とその楽器に関する体系的な記録をまとめ上げました。

こうして誕生したのが、1975年に初版が発行された『Martin Guitars: A History』です。 この書籍は、ギター業界における初の包括的なリファレンスブックとして高く評価され、後に2度の改訂を経て、詳細な2巻本へと発展しました。

1995年に引退した後も、彼はマーティンファミリーの一員として社内外から深く敬愛され続けました。そして2003年、彼が若くしてこの世を去った直後、C.F.マーティン社はその多大な功績を称え、「D-45 マイク・ロングワース・コメモラティブ・エディション」を発表。彼の名と偉業は、いまなおマーティンギターの歴史に燦然と輝いています。

クラプトンが使用した000-28/'45 コンバージョン

マイク・ロングワースが手がけたギターの中で、特に代表的な1本をご紹介します。

それが、エリック・クラプトンが1970年代半ばに本格的なソロ活動を開始した頃、ステージやレコーディングで頻繁に使用していた、「Style-45」仕様に改造された1966年製の000-28です。

このギターは1970年にクラプトンの手に渡ったとされ、その時点ですでに改造が施されていたと言われています。 実際に、1974年にリリースされたアルバム『461 Ocean Boulevard』のポートレートにも登場しており、「45」仕様にカスタムされていることが確認できます。 しかし、後にオークションハウスのクリスティーズが公開した情報によると、マイク・ロングワースが手がけたことを示すラベルには、以下のように記されていたとのことです。
"This instrument inlayed / by / Custom Pearl Inlay Service / 200 Hemphill Avenue / Chattanooga Tenn. 37411 / work performed OOO-28-45 No 67 April 11, 1976 / Mike Longworth" (1976年4月11日にパールインレイのカスタムが施された)

この記載から、改造の時期にズレがあることに気づかされます。 マイク・ロングワースによる署名がなされたのが1976年というだけなのか、それともその年にさらに追加のカスタムが行われたのか、詳細は依然として不明です。

これについて興味深いのは、1974年の写真ではブリッジにスノーフレーク・インレイが施されていないことが確認できる一方で、1976年のイギリスおよびアメリカツアーの様子を収めたアルバム『Cowboy Here & There』(2004年リリース)のジャケット写真では、スノーフレーク・インレイがはっきりと見て取れる点です。 この写真がおそらく『No Reason to Cry』の収録時期からツアー中に撮られたものであることを考えると、1976年までに追加の改造が施された可能性が高いと考えられ、これはラベルの日付とも近接しています。

1980年代に入ると、1983年のARMSツアーでロニー・レーンと共に披露したアンコール・ナンバー『Good Night Irene』でこのギターを使用している様子が確認できます。 また、1992年の『Unplugged』収録時には、アンディ・フェアウェザー・ロウがこのギターを演奏しています。

長年クラプトンのギターテックを務めるリー・ディクソンによれば、クラプトンはスタジオで「Get me the Longworth(ロングワースを持ってきてくれ)」という決まり文句で、このギターをリクエストしていたそうです。 このギターは2004年に開催された「Crossroads Guitar Auction」に出品され、当時186,700ドル(約2,000万円)で落札され、大きな話題となりました。

マイク・ロングワースがD-45を製作していた時期にカスタマイズしたD-28

そんな中、マイク・ロングワースがD-45の再生産に携わっていたまさにその時期にカスタマイズを施した逸品が、このたびアドバンスギターズに入荷しました。 それが、Martin 1953年製 D-28をベースに、豪華絢爛な装飾をまとった、こちらの個体です。

ボディ内部には、彼が手がけたことを示すサイン入りのラベルが貼られています。これを見ただけで胸が高鳴るマーティン愛好家も多いのではないでしょうか。 テネシーの住所がナザレスに書き換えられていることが、当時のロングワースの軌跡を物語っています。 「No.82」というのは、彼にとって82番目の仕事を示していると考えられます。

そしてこのラベルには、1968年の11月にカスタムが施されたことを示す記載も確認できます。 1968年といえば、前述の通りD-45の再生産が始まった年です。 マーティン社でD-45の再生産に取り組む傍ら、個人的に受けていた依頼をこなしていたのでしょう。 ハカランダのD-45が貴重であることは周知の事実ですが、1968年に彼の手によって「45 Style」にコンバージョンされたこの個体もまた、計り知れない価値を秘めています。まさに、世界に一本の特別なギターです。

偶然にもアドバンスギターズでは、比較対象となるオリジナルの1953年製D-28と、再生産初期の1969年製D-45を在庫しておりました。 その2本と比較しながら、こちらの個体の魅力に迫ります。

まず、基本骨格としては1950年代のD-28であることがわかります。

D-28(1953年)とD-45(1969年)

偶然にもアドバンスギターズでは1953年 D-28、1969年 D-45を所持しておりました。その2本と比較しながら、こちらの個体の魅力に迫っていこうと思います。

まず、基本骨格としては1950年代のD-28であることがわかります。

Martin 1953年製 D-28/'45 CONVERSION' by Mike Longworth
[SPECIFICATIONS]
NECK REINFORCEMENT:T-Bar
BRACING:Non Scalloped X-Bracing
TOP : Sitka Spruce
BACK/SIDES : Brazilian Rosewood
NECK : Mahogany
FINGERBOARD:Ebony
BRIDGE:Ibory(Replaced)
BRIDGE PLATE:Maple Small Size
NUT WIDTH : 43mm
SCALE : 647mm
WEIGHT : 2.10kg

ネックに仕込まれている補強材はTバーロッド。 「45 Style」でTバーロッドというのは、プリウォーD-45と同じ特別な組み合わせです。

ブレーシングパターンはノン・スキャロップド・Xブレーシング。 見比べると、D-28/'45 CONVERSION' の方が、おそらく個体差により、ブレーシングが若干シャープな形状になっているのが見て取れます。 (上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

ボディトップはシトカスプルース
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

ピックガードは塗り込みのべっ甲柄
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

ボディサイドバックはブラジリアンローズウッド(ハカランダ)
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

ボディサイドバックはブラジリアンローズウッド(ハカランダ)
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

ネックはマホガニー
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

指板はエボニー
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

ブリッジプレートはスモールサイズのメイプル
(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

マイク・ロングワースが数多く執筆した書籍のひとつ

木材の構成には共通点も見られますが、オリジナルの1953年製D-28との決定的な違いは、やはり華麗なインレイワークと、ひときわ存在感を放つこのブリッジでしょう。 素材は象牙。贅沢に使われているだけでなく、芸術的な彫刻も施されています。

これらの豪華な装飾はサウンドにも影響を与えており、オリジナルの1950年代D-28とは異なる個性を持っています。 この記事を執筆するにあたり、数名のヴィンテージギター愛好家の方々に試奏していただきましたが、皆一様に驚きの声を上げていました。 そして、口を揃えて「とにかく音が素晴らしい」とおっしゃっていました。 音の骨格は確かにD-28ですが、アバロンインレイや象牙ブリッジが音色全体に鮮やかな彩りを与えている印象です。 かといって、単にD-45に近づいたとも言えない、まさに唯一無二の極上の音色を奏でます。

次は、華を添えるインレイワークについて見ていきます。 インレイワークを比較するにあたり、参考にするのは1969年製のD-45(ハカランダ仕様)です。

Martin 1969年製 D-45
[SPECIFICATIONS]
NECK REINFORCEMENT:Square
BRACING:Non Scalloped X-Bracing
TOP : German Spruce
BACK/SIDES : Brazilian Rosewood
NECK : Mahogany
FINGERBOARD:Ebony
BRIDGE:Ebony
BRIDGE PLATE:Brazilian Rosewood Large Size
NUT WIDTH : 44mm
SCALE : 645mm
WEIGHT : 2.25kg

D-28/'45 CONVERSION'では、サウンドホールリング中央の装飾が美しいシェルインレイに交換されています。 使用されている貝は、この時期のD-45同様、レッドアバロンと思われます。 切れ込みも細かく、光にかざすと多方向に輝きを放ち、天然素材ならではの美しさを湛えています。 1969年製D-45に見られる指板外周のブラック・パーフリングは、このD-28/'45 CONVERSION'には施されていません。 これは、1968年製D-45プロトタイプとも共通する特徴です。 (上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1969年製 D-45)

トーチインレイが施されたヘッド。 ヘッド外周の内側にもシェルが埋め込まれ、通常のD-45よりもさらに豪華な印象を与えます。 オリジナルの「Martin & Co.」ロゴと同様の書体で施されたパールインレイは、まさに格別と言えるでしょう。 このギターがD-28ベースのD-45カスタムであることを、より一層象徴しているかのようです。 そして驚くべきことに、このヘッドストックのデザインは、D-45再生産のきっかけのひとつにもなったハンク・スノウのD-28/45(「The Snow Job」)と酷似しているのです。 (上:D-28/'45 CONVERSION' 中:1969年製 D-45 下:1953年製 D-28)

Martin 1953年製 D-28/'45 CONVERSION' by Mike Longworth
チューナーはプリウォースタイルのグローバー・オープンバック。 バタービーン・ノブにはマーティン社の頭文字「M」が彫刻された特別仕様です。

指板にもセルバインディングとシェルのインレイが見事に施されています。 ポジション・マークは、かつてデヴィッド・ブロムバーグ氏が手にし、現在は小倉博和氏が所有するプリウォーD-45と同じ、スノーフレーク&キャッツアイ仕様です。 マイク・ロングワース氏に依頼した元オーナーのアイデアか、はたまたマイク・ロングワース氏による提案か、いずれにしてもオリジナルのD-45に対する深い造詣がうかがえます。
指板エンドには、ロングワースが手がけたことを示す「L」のインレイが小さく埋め込まれています。 高校生の頃、ロングワースが手がけた指板には、大きく「L」のインレイが刻まれていました。しかし年月が経つにつれ、自身の自尊心を満たす必要が次第に薄れていき、やがてその「L」は、次第に小さく、控えめなものになっていったとロングワースは語っています。

D-45仕様へのカスタムということもあり、ボディ全体のパーフリングにもアバロンが贅沢に使用されています。見比べると、D-28/'45 CONVERSION' の方が線が細く、よりスタイリッシュな印象です。(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1969年製 D-45)

興味深いことに、このカスタマイズに伴い、バインディングの素材も変更されています。 1950年代のD-28にはアイボロイドが使用されていますが、このD-28/'45 CONVERSION'にはアイボロイド特有の縞模様が見られません。 マーティン社では、バインディング素材が1966年頃にアイボロイドからボルタロンへと変更されています。 このため、このD-28/'45 CONVERSION'も、アバロンインレイを施す際にオリジナルのアイボロイドバインディングが使えなくなり、当時の新しい素材であるボルタロンに変更されたと考えられます。(上:D-28/'45 CONVERSION' 下:1953年製 D-28)

個人的に好きなカットです。 ネックヒールのセルはおそらくオリジナルのアイボロイド、ボディのバインディングはボルタロン、そこへアバロンのパーフリングが加わり、とどめはヘリンボーンのバックストリップです。 ヘリンボーンのバックストリップは、1975年~1976年に製作された建国200周年記念モデルD-76など一部のモデルを除いてはほとんど見られない、非常に珍しい仕様です。 また、バックストリップの両サイドに見えるグリーンのラインも洒脱なアクセントになっています。 カスタマイズならではの、この景色。 豪華絢爛な外観の奥に垣間見えるこうした手仕事の痕跡は、温もりを感じさせてくれます。

まとめ

伝説のモデルD-45復活の立役者、マイク・ロングワース。 彼の手から生み出された一本一本のギターは、単なる楽器を超え、彼の美意識、卓越したクラフトマンシップ、そしてマーティンギターへの深い愛情が息づく「作品」と言えるでしょう。

今回ご紹介した1953年製D-28ベースの“D-45コンバージョン”もまた、彼の作品群の中でひときわ特別な輝きを放つ一本です。 D-45再生産期という歴史的転換点のさなかに、自身の82番目の仕事として記録されたこのギターは、当時のマーティン社の方向性と、彼自身のギター製作に対する哲学が凝縮された証と言えるでしょう。

音においても外観においても、D-28でもD-45でもない唯一無二の存在。 豪華な装飾と、長年愛用されてきたヴィンテージギターならではの風格を併せ持つこの一本からは、「楽器に命を吹き込む」というロングワースの信念が、静かに、しかし確かに伝わってくるようです。

彼が遺したこの「作品」と向き合うことで、ギターという楽器がいかに人の手によって豊かな文化となり得るのか、その一端でも感じていただけましたら幸いです。


ACKNOWLEDGEMENT

I would like to express my heartfelt admiration for Mike Longworth, who left behind such exceptional guitars.

-Yosuke Inoue

 

あとがき

この記事をまとめるにあたり、改めて感じたのは、マイク・ロングワースという人物の「大きさ」です。

その名を耳にすることは何度もありましたが、いざ深く掘り下げようとすると、彼の仕事の量、影響の大きさ、そしてギターという楽器への愛情の深さに、何度も圧倒されました。 まさに「膨大」にして「偉大」。資料に目を通しながら、幾度となくページをめくる手が止まり、ただただ感嘆する瞬間がありました。

今回の記事を作成する過程では、既に知られているエピソードだけでなく、初めて知る事実や、断片的だった情報が繋がりを持つ瞬間も多くありました。そうした“発見”は、まるで一本のヴィンテージギターを手にしたときのようなときめきがありました。 そしてそれは、マーティンギターという存在の奥深さと、ロングワースの残した足跡の価値を、あらためて教えてくれるものでした。

もしこの記事を読んでくださった方が、マイク・ロングワースという人物を少しでも身近に感じ、マーティンギターの魅力にまたひとつ触れていただけたのなら、こんなに嬉しいことはありません。

彼が遺した作品、言葉、記録は、単なる「過去の資料」ではなく、今を生きる私たちの音楽とギターへの向き合い方に確かに影響を与え続けていると、私は信じています。