テリー中本の伝説
YAMAHA L 四天王

まえがき

日本のアコースティックギター史において、いまも語り継がれる伝説がある。1975年に誕生した「L-51」「L-52」「L-53」「L-54」の4本。

その名も“YAMAHA L四天王”

「四天王」という呼称は、どこか少年心をくすぐる響きを持っている。圧倒的な個性を放つ4本には、まるで伝説の神器、語り継がれる宝具のような風格さえ感じる。その中で、それぞれが異なるコンセプトとサウンドを宿し、唯一無二の存在感を放っているのが"L四天王"の魅力である。本稿では、そんな“L四天王”に焦点を当て、その誕生の背景と今もなお人々を惹きつけてやまない魅力に迫っていく。

"YAMAHA Lシリーズ" 誕生までの軌跡

「YAMAHA」
ギターのみならず、ピアノ、電子楽器、管・打楽器など幅広い分野で世界に名を馳せる日本を代表する楽器メーカーである。その歩みは1887年、創業者・山葉寅楠が静岡・浜松で壊れたオルガンを修理したことから始まった。彼はその経験をもとに国産オルガンの製作に成功し、やがて1900年にはピアノの製造販売を開始する。戦中には工場が軍需生産に転用されるも、3代目社長である 川上嘉市 氏はピアノ製作の技術を守り続けたという。

そして終戦直後の1946年。この頃から、YAMAHAがアコースティックギターの製作を始めたと伝えられている。当時はクラシックギター的な構造を持っていたとされるが、実機や資料は現存せず、その詳細は謎に包まれている。

1950年代に入ると、アメリカで起きたフォーク・リバイバルのムーブメントが、海を超えて日本にも波及する。実は、1952年にはクラシックギターの形状をもとにスチール弦を張った“ダイナミックギター”の試作が行われていたという記録が残っている。

時は流れ、1960年代初頭。ついに“ダイナミックギター”が市販品として世に登場する。この経験が、後にフォークギター開発へとつながっていくことになる。

YAMAHA /1960年代 Dynamic Guitars No.80
ダイナミックギターの中にもラインナップが存在するが、本機はその中でも1番豪華なモデル。そのサウンドは今のギターにはない箱鳴り感と、奥深い弾きと鈴のような美しい高音。ぜひアコギ好きには1度触ってもらいたい逸品である。

そして、1966年10月。国産オリジナルデザインによるフォークギター「FG-150」「FG-180」が登場する。国産フォークギターの礎であり、伝説の幕開けともいえる「FGシリーズ」の誕生である。

YAMAHA / 1966~1967年 FG-180 “Light Green Label”
こちらはFGの最初期に当たる1966年から1967年の極わずかな期間の個体には“ライトグリーンラベル”と呼ばれる薄緑色のラベルが用いられているFG-180。トップ/サイド/バック板が非常に薄く構成されており、Martinがトップ板が約4mm弱あるのに対し、このFG-180は2.8mmである。これにより、圧倒的な音圧と開放感と鈴のような高音のきらめきを感じられるのではないだろうか。

1968年には「帰ってきたヨッパライ」のミリオンヒットや海外フォークの流入により、日本のフォークブームが一気に押し寄せ、FGもまた大きな支持を得ていくことになる。しかし、その人気の中心は依然としてリーズナブルなモデルであった。

当時の社長( 4代目社長 川上 源一 氏)から「(海外のギターと比べて)どうしてうちのギターは値段が安いのか。そんなに自信がないのか!」「海外メーカーに対抗できる高級機種をつくれ」と、檄が飛んだという。YAMAHAは“世界基準のアコースティックギター”を目指し、開発に着手する。

そこで、国産フォークギターを語る上では避けては通れない、稀代のギターデザイナー、テリー中本氏が指揮を執り「FG-1500」「FG-2000」「FG-2500」という新たな高級機を生み出した。

※左から「FG-1500」「FG-2000」「FG-2500」

これらの機種に対して、当時の川上氏の注文としてあったのは「日本製らしさ」であった。開発時はMartin、Gibsonのアコースティックギターと比較し、ボディスタイルや塗料を変えたりと試行錯誤を繰り返したようだ。しかし、思うような音の変化は得られなかったことから「お客さん側の意識を変えた方がいいのでは」との考えに至る。それが、Lシリーズ誕生の第一歩である。

この時期、アコースティックギター界の第一人者・石川鷹彦 がアドバイザーとして参加していたことも特筆すべき点である。元々、テリー中本氏はミュージシャンの元に感想を求めギターを持っていき、アドバイスを受けながらギターの研究を行なっていた。そして、Lシリーズに開発にあたっては、ギターを実践的に使っており、耳がよく、テクニックも備わっているスタジオミュージシャン 5名のアドバイスを参考にしていたようだ。その中の1人が石川鷹彦 氏であり、彼は塗装の違いまで耳で当てられるほどだったという。彼の「低音が出すぎる」「テンションが弱い」などの意見をもとにさらなる改良が進められ、「FG-3000」として開発が進行していた。

しかしながら、営業戦略上の判断により、そのモデルは「Lシリーズ」として新たに発表されることとなる。これが、1974年 初代モデル「L-31」の誕生である。

YAMAHA / 1976年製 L-31
Lシリーズの1本目として誕生した本モデル。サイド/バックにはハカランダが使用され、インレイだけでなくボディのパーフリング、バックストリップにもアバロンが使用されている。

Lシリーズ名の“L”は「Luxury(ラグジュアリー=高級)」を意味する。

その名が示す通り、表板には厳選されたエゾ松が使用され、白く上品な木肌が高級感を際立たせている。また、FGに採用されていたスケール 637mm から 651mm へと延長され、ボディ内部の構造やネックジョイントの接合部の大きさの変更が行われている。こうした仕様の刷新によって、LシリーズはFGシリーズとは一線を画す存在として誕生した。

熟練職人による精密な組み上げと、音響設計の緻密な追求によって生み出されたそのサウンドは、国内外のアーティストを魅了し、数々のステージで“YAMAHA”の名を世界へと広めていった。

これが、"YAMAHA Lシリーズ"誕生までの軌跡である。

“L 四天王”と呼ばれる至高の4本

YAMAHAの最高級手工ギターとして、今なお語り継がれる “L四天王” 。
このL四天王は「L-51」「L-52」「L-53」「L-54」を指し、これらもテリー中本氏により考案によるものだ。

※1980年頃のYAMAHAのカタログより

4本のカスタムモデルは、違うコンセプトで設計され、音を4つの傾向に分けられている。

それぞれ4つのモデルをべースにギター各部のデザインや演奏性など、全23ヵ所についての特注を行なっていた。
YAMAHAの培ってきたギター製作技術、そして、ギターづくりの名工たちによる1本1本完全なハンドメイドにより作られた最高級のフォークギターである。

日本におけるカスタムオーダー文化はYAMAHAが先駆けと言われており、その文化を根付かせたのはテリー中本氏の功績の1つである。

"L四天王"の誕生

前述の通り、テリー中本氏はスタジオミュージシャンの意見をもとに、新たなギターを考案していた。しかし、それだけではセールスに結びつかないと考え、フロントマンと呼ばれるアーティストにギターを使ってもらえないかと積極的にコンサート会場へ足を運ぶ。それでも、ステージの中心にあったのは依然としてMartinやGibsonといった海外ブランドであった。

そこで、当時としては画期的な「既存のモデルではなく、アーティストが求める音作りをする」というオーダー制に切り替えたのであった。その時にはカスタムモデルの先駆けである“L-31” は既に完成していたが、テリー中本氏は「彼らに見てもらうにはインパクトが足りない」と考え、それぞれ”音・デザイン”の全く違う4本のサンプルが作られることになった。この4本が後の”L四天王”と呼ばれる4本のコンセプトとなる。

それ以降、テリー中本氏はアーティストの元へ足を運ぶ際は、アーティストの好みを事前に計らい、4本の中から数本選んで携えていったという。

数多くのアーティストのもとへ自ら足を運び、現場の声に耳を傾け続けたその行動力。多くのミュージシャンをはじめ、ギターファンから愛されたその人柄。テリー中本氏という存在は、今なお深い敬意を集め続けている。テリー中本氏がもしいなかったら、日本のアコースティックギター史は、今の形をしていなかっただろう。

YAMAHA L-51 Custom

“L四天王”の中でも異質な存在として知られるのが、L-51 Customである。

ヘッド、ピックガード、ブリッジの形状も非常にユニークだが、特筆すべきはそのボディ形状にある。実はこのモデル、左右非対称のデザインを採用している。右半分はフォークタイプでやや小ぶりな引き締まった形状、左半分はオリジナル・ジャンボをベースにしたふくよかな形状となっている。結果として、低音弦側ではルーズで重量感のある低音、高音弦側では張りと透明感のある高音が得られる設計になっている。テリー中本氏はLカスタムのサンプル製作にあたり「レコーディングに特化したモデルがあってもいいのではないか」と考え、サウンドメイクを軸にこの斬新な非対称ボディを考案した。

他の3本と比べると装飾は控えめな印象を受けるが、L-51 Customには日本の伝統技法である木象嵌(もくぞうがん)が用いられている。木そのものの色味や質感の組み合わせによって意匠を描き出すこの技法は、白蝶貝やメキシコ貝の装飾と比較すると派手はないが、品格と温もりといった趣を感じる。見た目の大胆さとは裏腹に、装飾は木象嵌により落ち着いている。「ボディも左右非対称、よく見ると印象と装飾が非対称」などと考えると非常に面白いモデルである。

現在では多くのファンを魅了するモデルとなっているが、当時はその奇抜さゆえに“L四天王”の中でも最も人気がなかったと語られている。その事実を物語るように、市場に出回ることはほとんどなく、今ではまさに“幻のギター”と呼ぶにふさわしい存在だ。

YAMAHA L-52 Custom

Gibson J-200を意識しジャンボボディが採用されたL-52 Custom。

漆黒のボディにホワイトのダブルピックガード装着....GibsonのEverly Brothersを想起させる。

このブラックカラーは光加減によりダークブラウンに見える工夫が施されており、ヘッドをよく見てみると微かに木地が見え、漆器のような美しさを楽しむことができる。

白いダブルピックガード。よく見ると左右非対称のサイズであり、ユニークなデザインだ。なぜこのデザインにしたのか、真相は聞いてみないとわからないのだが、先に述べたL-51の設計を考えると「ピックガードとボディの設置面積によってL-51と同様に低音弦側と高音弦側の鳴り方をコントロールしているのでは」と深読みしてみるのも面白い。

テリー中本氏曰く、サウンドは日本人の好みを意識しており、派手さでなく落ち着いたテイストを狙ったとのことである。
チューン・オー・マチック ブリッジが採用されており歯切れの良いサウンドでありながら、しっかりジャンボボディの胴鳴りも感じられる。

L-52を始め、Lカスタムシリーズは”日本の音がする”と評されることがあるが、L-52は海外のトップアーティストからも評価されていることでも知られている。

ポール・サイモンはその音に惚れ込み、ボディサイズを縮小するオーダーを入れ、気に入って使用している。ジョン・レノンは彼のギターをきっかけにこのモデル気に入り、自身のモデルをオーダーしている。

YAMAHA L-53 Custom

L四天王の中でも最も燦然と輝くモデル L-53 Custom。

Lシリーズ直径のモデルであったため、貝を惜しみなく使うことで他モデルと差別化を図っている。

サウンドホールやボディの縁どりはアバロンとエボニーをロープ状に組み込んでおり、「大胆さ」と「繊細さ」という一見相反している意匠が同居している。

サウンドについては、明快でヌケの良い音を狙って設計され、L四天王の中で一番人気があったと言われている。しかしながら、決してキンキンしたサウンドではなく、低音が重厚で高音は細かな音の粒が耳を撫でるような煌びやかさが特徴である。その音色は「アコースティックギターの美しい音とは、まさにこのことを言うのではないか」と思わせてくれるほどだ。

ボディバックは3ピース構造になっているが、初期がハカランダ/エボニー、後期はハカランダ3Pへと変更されている。この3ピースという設計に関してはMartin D-35は全く意識しておらず、視覚的なデザインを考えてのものだと語られている。

このモデルも数多くのアーティストが使用しており、1970年代 カントリーポップを代表するジョン・デンバーはL-53を「探し求めていた理想のギター」と評するほど惚れん込んだことは有名な話である。

YAMAHA L-54 Custom

最後にご紹介するのは、ピックガードの彫刻が雅なL-54 Custom。

ボディシェイプにはYAMAHAの“ウエスタン”と呼ばれる形が採用されている。Lカスタムのモデル群を考える上で「ドレッドノートをベースとしたモデルも必要だろう」ということで制作された。この形状でデザインをシンプルにしてしまうとMartinっぽくなってしまうことから、HummingbirdやDoveを想起させるGibson風を意識したのだ。この「サウンドはMartin、デザインはGibson」といった仕上げは、テリー中本氏が好きな定番アレンジだったという。

次にデザインに着目してみる。ピックガードの彫刻のモチーフとなっている、ホトトギスは日本文化に深く根差し、和歌や絵画、工芸品などの意匠に多く用いられている。ホトトギスは夏を告げる鳥として、更には夏の季語としても親しまれてきた。それを踏まえ、ピックガードを見てみると青、白、橙、緑といった夏を思わせる配色となっていことに気づく。一見するとGibsonのHummingbirdやDoveを想起させるが、しっかりと日本の情緒や美しさを見事に表現している1本に仕上がっていることがわかる。

L-54のヘッド/ボディにはL-53と同様にアバロンとエボニーをロープ状に組み込まれた装飾が施されている。
ヘッドに目をやると、ギターの装飾ではなく螺鈿細工を見ている気分になってくる。
もはや、工芸品といって差し支えないだろう。

あとがき

“L四天王” それぞれの個性、音の傾向、デザイン。今回のコラムでは、その誕生までの軌跡、設計思想、そして各モデルの魅力を紐解いてきた。テリー中本氏の探究心と行動力、スタジオミュージシャン/アーティストとの対話、熟練の職人による緻密な手仕事。そして、仕事道具として使用してきたミュージシャン、これらを語り継いできたアコギファンたち。これらすべてがL四天王の価値を形作り、今日まで多くの人々を魅了し続けているのである。

ギター1本1本に宿る物語に触れるたび、私たちはギターという楽器の奥深さ、アコースティックギター史の厚みを再確認させられる。私たちAdvance Guitarsは、この物語をただ見守るだけではなく、未来へと紡いでいきたい。100年先のギタリストたちにも、"L四天王"の輝きが色褪せることなく届くように。