Gibsonの創設者といえばオーヴィル・ヘンリー・ギブソンが思い浮かびますが、現在の「Gibsonエレクトリックギター」の礎を築いた人物といえば、テッド・マッカーティ(セオドア・マッカーティ)の名前が挙がるのではないでしょうか。
Gibsonエレクトリックギターの父:テッド・マッカーティ(セオドア・マッカーティ)の功績
テッド・マッカーティとは|Gibsonエレクトリックギターの父
Gibsonの創設者といえばオーヴィル・ヘンリー・ギブソンが思い浮かびますが、現在の「Gibsonエレクトリックギター」の礎を築いた人物といえば、テッド・マッカーティ(セオドア・マッカーティ)の名前が挙がるのではないでしょうか。
マッカーティがGibson社に入社したのは1948年。それ以前はWurlitzer社で楽器のセールスに携わっていました。
当時、Gibsonの親会社であったC.M.I.(Chicago Musical Instruments)社は、戦後の再生産体制がうまく機能していないという経営課題を抱えており、その立て直しをマッカーティに依頼しました。
実は彼自身、キャンディメーカーへの就職を考えていましたが、熱心な説得を受けGibson社への入社を決意します。
マッカーティはGibson入社以前、楽器開発そのものには関わっていませんでした。しかし入社後は頻繁に工場を訪れ、現場を視察。Wurlitzer社での経験も活かしながら、徐々に改善案を提示し、意見交換を重ねていきました。
1940年代後半から50年代にかけて、音楽の音量増加に伴いホロウボディのギター特有の「ハウリング」が問題として取り上げられ、各社が対策を模索し始めていました。
Gibson社もクラシックギターのような見た目でFホールが空いていない楽器などの開発を行っていました。
そんな中、1950年にポール・ビグスビーによるシングルカットのソリッドギター、さらにFender社からはエスクワイア(後のテレキャスター)が発売されます。
Les Paul誕生の経緯|ソリッドギター開発とアーチトップ構造
これを受け、マッカーティはすぐに後追い開発を急ぐのではなく、それらのモデルを慎重に分析し、Gibsonとして打ち出すべきソリッドギターの方向性を模索しました。
そして彼が導き出した答えが、マンドリンやフルアコースティックギターに用いられていた「アーチトップ加工」を採用することでした。これはカービングマシンを保有していたGibsonだからこそ可能な加工であり、Gibsonのアイデンティティのひとつでもありました。ボディ材については、マホガニー単材やメイプル単材も検討されましたが、「重すぎる」「サステインが長すぎる」といった問題もあり、最終的にはメイプルトップ/マホガニーバックという構成に落ち着きます。
また、ギターの知名度を高めるため、著名なギタリストに演奏してもらうというプロモーション戦略も必要でした。そこで白羽の矢が立ったのが、当時絶大な人気を誇っていたレス・ポールです。
以前からソリッドギターの研究を行っていたレス・ポールをGibson社へ招き、意見交換を行います。完成した試作品を見せるため、マッカーティはニューヨークへ飛び、レコーディング中だったレス夫妻のもとを訪れました。レスはこの試作品を大いに気に入り、コンサルタント契約を結ぶとともに、いくつかの修正案を提示します。
レスが提案した主な修正点は以下の通りです。
・フローレンタイン・カッタウェイを丸みを帯びたベネチアン・カッタウェイ形状へ変更
・ブリッジを自身の考案したトラピーズ・ブリッジ(ブランコテールピース)への変更
・高級感を演出するため、カラーをゴールド・フィニッシュにする
こうして1952年、Gibson初のソリッドエレクトリックギター「Les Paul」は誕生しました。
しかし、マッカーティはその後もLes Paulモデルの改良を続けます。トラピーズ・ブリッジは、当時のネック仕込み角の都合上「弦をブリッジ・バーの下にくぐらせる」必要があり、ミュート奏法がしにくいなどの実用的な弱点がありました。
そこで1953年、新たに開発・採用されたのが、コンビネーション・ブリッジ/テイルピース(通称マッカーティ・ブリッジ、またはラップアラウンド・ブリッジ)です。
この一体型ブリッジはテンションを確保しやすく、弦高も下げやすい構造でした。またアンカーを直接ボディに固定することで、弦振動がボディに伝わりやすいという利点もありました。
その後、現在のLes Paulの標準仕様となっているチューン・O・マチックとストップ・テイルピースの組み合わせへと移行しますが、こちらもマッカーティが特許を取得しています。
そしてLes PaulをはじめとするGibsonギターに欠かせないのが、P-90およびハムバッカー・ピックアップ(P.A.F.)の存在です。ハムバッカーを開発したのはセス・ラヴァーですが、その開発を指示したのはマッカーティでした。
また「ハムバッカー」という名称を考案したのもマッカーティだといわれています。
P.A.Fの開発に関しては当店コラムの「セス・ラヴァー」のページにて語っていますので、ぜひ併せてご覧ください。
ES-335とモダニスティック・シリーズ|革新デザインの誕生
1958年にはセミ・アコースティックギターの「ES-335」を発表するとともに、革新的なモダニスティック・シリーズの「Flying V」「Explorer」「Moderne」を世に送り出します。
その中でもモダニスティック・シリーズは当時「Gibsonのデザインは保守的で古い」というような批判を覆そうとして開発されたモデルでした。
今ではロックのアイコン的なモデルになっているこの突飛なデザインは、1958年当時には先を行きすぎており、製造本数もわずかでした。
ちなみにマッカーティは当時、競合であるGretsch社から電話で「ソリッドボディに進出するのは辞めた方がいい」と忠告されたそうです。
マッカーティの功績はモデルの開発だけで無く、工場での年間生産本数を約5,000本規模から約100,000本規模へと拡大させるなど、経営面でも大きな成果を上げていたりと、ここでは語り尽くせないほどの実績を残しました。
1966年にGibsonを退社後、1965年にGibsonが買収していたBigsby社の社長に就任。パーツ開発のみならず楽器以外の事業展開も行い、同社の存続と成長に大きく貢献しました。1999年にGretschに買収されるまでBigsbyに在籍しています。
PRS McCartyとは|テッド・マッカーティの評価と現代ギターへの影響・設計思想
さらに1986年にはPaul Reed Smithのアドバイザーとして迎えられ、若きポール・リード・スミスと共に「McCarty」モデルを開発。PRS McCartyは、Custom 24よりも厚みのあるマホガニーバック、ワイドファット・ネック、クルーソンスタイルのペグ、そして前述のマッカーティ・ブリッジに通じるPRSストップテイルピースなどを採用し、ヴィンテージLes Paulのトーンを意識した、他のPRSモデルとは異なるアプローチのモデルとなっています。
その後、マッカーティは2001年、91歳でその生涯を閉じました。
Gibsonの歴史を語るならばオーヴィル・ヘンリー・ギブソンから始まります。しかし「Gibsonのエレクトリックギター史」を語るのであれば、テッド・マッカーティは、Fenderにおけるレオ・フェンダーに匹敵するほど重要な人物だといえるでしょう。
そして非常に興味深いことに、エレキギターの歴史を作ったこの二人の偉人は、いずれもギタリストではありませんでした。そこに、何かしらの運命的な共通点を感じずにはいられません。
参考文献
Vintage Guitar Magazine
リットーミュージック THE GIBSON
ブルース・インターアクションズ レスポール大図鑑
guitar.com
この記事を書いた人:二瓶(TC楽器 エレキギター担当)
中学生の頃に漫画・「BECK」でギターを知り、Red Hot Chili PeppersやNirvanaに影響され、ロックに目覚める。
ギター製作の専門学校を卒業。TC楽器アコースティックフロア、TC楽器プレミアムギターラウンジのスタッフを経験。現在エレキギター担当としてコラム執筆、YouTube出演等でも積極的にその楽器愛を広めている。
ひとこと:Gibsonのエレキギターを調べていると、必ずと言っていいほど登場するテッド・マッカーティ。
名前はよく目にするものの、「誰なのか?」「何をしていた人なのか?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。私自身、エレキギター史においてこれほど偉大な人物であるにもかかわらず、あまり広く知られていないことを少し残念に感じています。そこで、より多くの方にテッド・マッカーティについて深く知っていただきたいと思い、この記事を書きました。この記事を通してGibsonというブランドをさらに好きになっていただけたら嬉しいです。
保有資格・実績: 楽器鑑定士歴8年
▶︎執筆記事はこちら
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