目次
はじめに
1. 偉大なる創造者 ― レオ・フェンダーという人物
2. Fender創設
3.Fenderの転機
4. レオの新たな挑戦:MUSIC MAN誕生
5. MUSIC MAN レオが開発に携わったモデル
6. StingRayベースの変遷を追う
7. 現在のMUSIC MAN
8. MUSIC MANを離れたレオ・フェンダーのその後
あとがき
目次
はじめに
1. 偉大なる創造者 ― レオ・フェンダーという人物
2. Fender創設
3.Fenderの転機
4. レオの新たな挑戦:MUSIC MAN誕生
5. MUSIC MAN レオが開発に携わったモデル
6. StingRayベースの変遷を追う
7. 現在のMUSIC MAN
8. MUSIC MANを離れたレオ・フェンダーのその後
あとがき
エレキギター/エレキベースを弾いている人なら誰もが知る名前であるFender。
そのエレキギター/エレキベースの礎を築いたFenderブランドの創設者がLeo Fender(レオ・フェンダー)です。
彼の画期的な発明により次々と生み出されたギター、ベース、アンプは今でも大きく形を変えることなく、人々に愛され続けています。テレキャスター、ストラトキャスター、プレシジョンベース、ジャズベース…これらの楽器は単なる”新しい楽器”ではなく、音楽の歴史そのものを作り上げたといっても過言ではありません。
今回はレオ・フェンダーのFender立ち上げ~MUSIC MANの誕生について、そして後半ではMUSIC MANの代表モデルStingRayベースについてご紹介します。
1909年カリフォルニア州フラートンに生まれたレオは、幼い頃から電気工学に関心を寄せていました。
高校卒業後は地元のフラートン短期大学へと進学。意外にも会計学を専攻し、卒業後はカリフォルニア州ハイウェー局の会計係として働くことになりました。
数年勤めた後、1938年にレオが立ち上げたのは「Fender’s Radio Service(フェンダー・ラジオ・サービス)」というラジオの修理店でした。幼いころからの電気工学、音への情熱は彼を技術者へと突き動かしたのです。
フェンダー・ラジオ・サービスはラジオの修理だけにとどまらず、アンプの修理やエレキギターの改造なども請け負っており、レオはこの当時に「エレキ楽器の問題点」というのを徹底的に知ることとなります。
1944年9月26日、レオフェンダーと共同事業主であるクレイトン・ドクター・コフマンは、蓄音機のピックアップを模したエレキギターのピックアップの特許を出願しました。それをフェンダー・ラジオ・サービスの一環として制作していた簡素な単板ギターに取り付けたことが、エレキ楽器史における大きな一歩となったのです。
コフマンとの共同経営を解消したレオ・フェンダーは、1947年に社名を「Fender electric instrument company」に改名。1948年には世界初の量産型ソリッドボディのエレキギターを開発。1949年にそれをEsquire(エスクワイヤー)として発表します。
その後はみなさん知る通り、テレキャスター、プレシジョンベース、ストラトキャスター、ジャズマスター、ジャズベース、ジャガーなど、今も受け継がれる楽器たちが生み出されます。
Fender社に大きな転機が訪れたのは1965年のこと。エレキギター産業の先駆者として走り続けたレオ・フェンダーは、アメリカの商業放送テレビ・ラジオネットワークであるCBS社にFender社を売却することに同意。
レオは経営者から技術顧問として数年留まるも、主に健康上の理由から1970年にFenderを退社。一説には新体制のFender社がレオの新たに開発した技術を積極的に採用しなかったから、とも言われています。
Fenderを退社したあとの1972年、レオはトム・ウォーカー(かつてFender社でセールス兼アンプデザインを担当)と、フォレスト・ホワイト(Fender社の元副社長)と共にMUSIC MANを設立します。
一度は第一線を退いたレオは「技術者として新製品を開発したい」という気持ちからMUSIC MANを立ち上げたそうです。
レオがギター/ベースの開発を行う一方で、トム・ウォーカー主導のアンプが先行して1974年に発売。
MUSIC MAN/212HD
アンプの発売に遅れること約1年強、1976年のNAMMショーにて発表されたのがStingRay IとStingRay Bassの2機種でした。
当時、エリック・クラプトンを始め数多くのミュージシャンたちはFenderのオールド・ギターの枯れたサウンドを求め、ビンテージギターが世の中を席巻していました。
そんな中、「新製品を開発する」という理念を貫き通したレオは、懐古的なギターを製作することなく、全く新しいギター/ベースであるStingRay(スティングレイ)を開発します。
MUSIC MAN/StingRay I 1977
MUSIC MAN/StingRay II 1977
StingRay Iはハムバッカーを搭載し、当時としては画期的なアクティブ・トーン回路を搭載。ボディシェイプやコントロールパネルなどはストラト、ジャガーからの影響を受けていますが、その力強くハイファイなトーンはFenderのDNAを感じさせつつも、新しい存在感を放ちました。StingRay IとStingRay IIの違いは指板Rの差のみで、その他仕様は全て同じです。(Iが12”R、IIは7.25”R)
MUSIC MAN/StingRay 1979
プレシジョンベースに近いボディシェイプですが、ギター同様コンターはなし。
何よりも最大の特徴であるハムバッカータイプのピックアップを1基搭載したこのスタイルは、今では「ミュージックマンタイプ/スティングレイタイプ」と呼ばれるように、プレシジョンベース、ジャズベースに並ぶエレキベースの大定番のひとつとなりました。
MUSIC MANの一番のヒット作となったStingRayベースはFenderベースとは全く違ったサウンドキャラクターながらも、スラップ奏法の流行やシンセサイザーの台頭によりベースサウンドが大きく変化した時代にマッチし、市場で広く受け入れられました。
アクティブサーキットを搭載し、指弾き、ピック弾き、スラップなどの奏法に素早く対応できることから曲の中でエレキベースという楽器の演奏の幅を広げ、ひいては音楽の発展の一因となっていることから、Fender時代に続いてレオの功績は計り知れません。
MUSIC MAN/Sabre II
1977年に発売されたSabreII(セイバーII)。StingRayI/IIよりもよりストラト色が強いシェイプとなり、コンターが採用されました。StingRayに対して上位モデルという位置付けでした。
MUSIC MAN/Sabre Bass
1979年発売のSabre Bass(セイバーベース)。StingRayの2ピックアップバージョンとして登場し、レオ・フェンダーがMUSIC MANにて最後にデザインしたベースとしても知られています。
レオ・フェンダーが立ち上げ、今なお続く大手ブランドであるMUSIC MANですが、実は1980年頃にはレオはMUSIC MANから手を引き、G&Lを設立しています。
その一方低迷していたMUSIC MANを救ったのは、弦メーカーとして世界的に有名なErnie Ball(アーニーボール)社でした。1984年にErnie Ballに買収されたMUSIC MANは、StingRayの改良を重ねるに加え、さまざまなバリエーションモデルを製作。レオが築いた礎をもとにして、エレキベースのスタンダードとして誰もが認める存在となったのです。
今なおMUSIC MANブランドを支える屋台骨と言えるモデルであるStingRay。
StingRayは発売初期より見た目の大きな変化は少ないものの、時代と共にベーシストのニーズに合わせてマイナーチェンジの変遷をたどります。
MUSIC MAN/StingRay 1977
ERNIE BALL社の買収後、StingRayは様々な仕様を一新するため、買収前の1984年以前のものはプレアーニー(Pre-Ernie)期と呼ばれます。
現行品とパッと見のルックスの変化は少なくても、よく見ると全然違う所がたくさんあります。
ペグ
3:1に配置されたチューナーは、フォレスト・ホワイトのアイディアを具現化。
1弦のツマミに手が届きやすくするだけでなく、弦のテンションやヘッドの重量バランスを改善する目的もありました。
トラスロッドナット
1970年代のFenderと同じくヘッド側から調整を行う機構。
ストリング・リテーナー
1,2弦の間にセットされています。後述の1985年以降は2,3弦の間へ変更になります。
ポジションマーク
プレアーニー期には21フレットのポジションマークが付けられていません。
後に登場するローズウッド指板仕様を除き、このポジションマークの仕様は1985年まで続きます。
2EQ
ビンテージStingRay人気の理由のひとつである2バンドEQ。ボリューム/トレブルブースト/ベースブーストというコントロールです。
ちなみに最初期の1976年のコントロールノブは”ラジオ・ノブ"と呼ばれるプラスチック製でしたが、すぐにメタルノブへと変更になりました。
ブリッジ
本機は取り外されていますが、各弦独立ミュート機構付きのブリッジ。分厚いスティール製で、左右の大きなネジでがっちりと固定されています。
1980年までの大きな特徴である裏通し仕様です。
ジョイントプレート
こちらも1970年代StingRayの大きな特徴である3点止めのネックジョイント。ボディとネックの角度を調整するためのマイクロ・ティルト機構が組み込まれているのも大きな特徴です。
また1976~1978年はシリアルナンバーがジョイントプレートに刻印されています。
バッテリーカバー
ネジ止めされたメタルプレートがバッテリカバーになっています。こちらはスライドのバッテリーボックスが採用される1996年まで続きます。
MUSIC MAN/StingRay 1979
ロゴ
描かれている2人は、レオ・フェンダーとトム・ウォーカーがモデルと言われています。
ブリッジプレート
各弦独立ミュート機構付きのブリッジ。
前述の1977年製との違いは、シリアルナンバーが刻印されていることです。1978~1984年はブリッジプレートにシリアルナンバーが刻印されます。
MUSIC MAN/StingRay 1981
ブリッジ
1980年からトップローデッド(表通し)ブリッジに変更されます。ミュート機構や、左右のネジなどは変わりありません。
ジョイントプレート
1980年、ブリッジが変更されたのと同時に4点止めジョイントへと変更されます。マイクロ・ティルト機構は廃止され、シリアルナンバーは引き続きブリッジに刻印。
4点止め仕様は、6点止めに変更される1990年代初頭まで続きます。
MUSIC MAN/StingRay 1981
ローズウッド指板
1979年のSabre Bass誕生以降にローズウッド指板も登場。ローズウッド指板ですがスカンクストライプがあることから、これまでの1Pメイプルネックと同じ工程で製造されていたと思われます。
メイプル指板のものはこれまでと同様21フレットのポジションマークはありませんが、こちらのローズウッド指板仕様では21フレットのポジションマークが付けられています。
1985年以降、ERNIE BALL社に買収されたあとの仕様変遷です。
MUSIC MAN/StingRay 1988
ロゴ
アーニーボール買収後、ヘッドロゴに「ERNIE BALL」が追加されます。また「StingRay Bass」の表記が「StingRay」へと変更になりました
ストリング・リテーナー
プレアーニー期では1,2弦の間でしたが、1985年以降は2,3弦の間へ変更になります。
ポジションマーク
1985年以降はメイプル指板のモデルにも21フレットのポジションマークが追加されました。
コンター/エルボーカット
1985年以降、Sabre Bassと同様に表/裏にコンター加工が施されます。
MUSIC MAN/StingRay 1992
トラスロッドナット
1989年から”スーペリアー・トラスロッドシステム”という、ネック下部からトラスロッドを調整できるホイールナットへと変更されます。
3EQ
この頃から採用されたのが3バンドEQ。ボリューム/トレブル/ミドル/ベースのコントロールとなり、サイドジャックへと変更になりました。
現行モデルでは2EQもオプションとして継続されます。
ジョイントプレート
トラスロッドナットの変更と同時に、6点止めのジョイントが採用されます。細長い形状でハイポジションの演奏性を高めながら、強固なジョイントを実現した6点止めは、一部モデルを除き現在でも採用されています。
バッテリーカバー
1995年まで初期からのメタルプレートが継続されます。
MUSIC MAN/StingRay 20th Anniversary 1996
本機はStingRay誕生20周年を記念したアニバーサリー・モデル。
フレイム・メイプル・トップ/マホガニー・バックボディの特別仕様です。
バッテリーボックス
このモデルからスライド式のクイックチェンジ・バッテリーボックスが採用されました。
MUSIC MAN/StingRay 1998
ブリッジ
1996年にミュート機構が廃止され、それに伴いプレート自体が細くなります。
シリアルナンバー
1998年からシリアルナンバーがブリッジプレートからジョイントプレートへの刻印と変更されます。
このあたりの年代から現行品とほぼ同じ仕様になってきましたね。
MUSIC MAN/StingRay 2008
ナット
2005年からコンペンセイテッド・ナット(compensated nut)が採用されます。
これは、従来のナットでは1フレットで押弦した際に音程がシャープしがちになる現象を解消させるもの。各弦ごとにシャープ量を割り出し、それに応じてナット位置を1フレット側に数セントずつシフトさせたシステムです。
1990年代以降は、「StingRay」という名前を冠した様々なバリエーションモデルが発売されます。
過去、TC楽器に入荷した主なバリエーションモデルを一挙ご紹介!
MUSIC MAN/StingRay EX 1998
U.S.Aと同様のパーツを使用し国内にて組み込みを行う’EX’シリーズ
1990年代後半から2000年代初頭まで生産されていました。
MUSIC MAN/StingRay TB 2002
モデル名のTBはThrough Bodyの略。裏通し仕様となっています。
MUSIC MAN/StingRay 2EQ 2001
2EQもあります。これは珍しいトランスルーセントレッド・カラーです。
MUSIC MAN/StingRay HH 2009
2ハムバッカー仕様。2005年、HS仕様と同時発売されました。こちらはネック、ヘッド、ハードウェアパーツに至るまで黒で統一されたステルスブラック・カラー。
PUセレクターのスイッチが搭載されています。
MUSIC MAN/StingRay HS 2006
HHと同時発売のフロントにシングルコイルPUを搭載したハムシングル仕様。
ピックガード下にはハムバッキング効果を生み出すファントム・コイルが仕込まれており、シングルコイル使用時にもノイズに強い仕様となっています。
MUSIC MAN/StingRay 5 1989
1987年に登場したStingRay5。立体的なカットが施され、4弦に比べてシャープなスタイル。
3wayスイッチはPUのシリーズ/シングル/パラレルの切り替えとなっています。
MUSIC MAN/StingRay 5 FL 2001
フレットレス仕様の5弦タイプ。
StingRayのフレットレス自体は1970年代末から登場していました。
MUSIC MAN/StingRay 5 HH 2005
StingRay5の2ハムバッカー仕様。
セレクターは5wayスイッチとなっており、それぞれのコイルを選択できるようになっています。
MUSIC MAN/StingRay Special 2018
モダン進化したといえるStingRay Special。
ボディ全体が丸みを帯びたカットとなっており、加えて5点止めジョイントで演奏性を向上。
新設計のネオジウムピックアップを搭載し、18V駆動。
ローステッドメイプルネックの採用や、ペグの軽量化など、StingRayのスタイルを維持しながら大きな進化を遂げました。
MUSIC MAN/Short Scale StingRay 2020
2020年に初登場したショートスケール(30インチ)のStingRay。(こちらはリフィニッシュの個体)
ロングスケールのものをそのまま小さくしたようなデザインで、パッシブ回路なのも特徴的です。
StingRayを中心にいくつかのバリエーションを展開し、今なおベースブランドの第一線を走るMUSIC MAN。
2008年にはErnie Ball傘下のSterling by MUSIC MANというブランドが設立され、より安価なモデルをラインナップ。これまでStingRayに手が届かなかった若者たちへのアプローチとなり、より幅広い世代に親しまれるギター/ベースとなりました。
Sterling by MUSIC MAN/Ray 34
Sterling by MUSIC MAN/Ray 35
Sterling by MUSIC MAN/AX40
1980年、MUSIC MANを離れたレオ・フェンダーは、1940年代からの盟友であるジョージ・フラートンとともに、2人のイニシャルを冠したブランド”G&L”を設立。
アメリカはカリフォルニア州/フラートン市を拠点とするG&Lは、レオ・フェンダーが生涯最後の創作活動を行なったメーカーとなります。
彼はG&Lでもエンジニア精神を持ち続け、亡くなる前日までG&L工場の一角にある専用研究室で研究を続けたといいます。
レオがMUSIC MANに関わっていたのはおよそ8年程度ですが、アクティブサーキットを搭載したエレキギター/ベースの源流はMUSIC MANでレオが開発したモデルたちにあり、そしてその遺伝子は確実にG&Lへと受け継がれています。
そんなG&Lについては、また次の機会にとさせていただきます。
レオ・フェンダーは紛れもなくエレキギター/エレキベースの歴史上で最重要人物であり、彼がFenderで作り上げた数々のモデルが、今なお大きく変化することなくステージに立ち続けていることは驚異的以外の何でもありません。
MUSIC MANとG&Lもギター/ベースの両方を生産していますが、注目度が高いのはベース。特にStingRayはPrecision Bass、Jazz Bassに並ぶ大定番ベースとなっており、もしレオが居なかったらエレキベースという楽器はどのようになっていたのだろうかと、想像すらできないですね。