アドバンスギターズ星野のフォーク紀行
〜フォークソングとアコースティックギターたち〜
第2回 高石ともや
こんにちは。
東京・新宿区(新大久保)にあるAdvance Guitarsの星野と申します。
本連載は、1960年代後半から70年代にかけて日本中を熱狂させた「フォークソング」、そして80年代のニューミュージックへと至るまでの軌跡の中で、あの名曲たちが「果たして誰の?、どんなアコースティックギターで奏でられていたのか?」という純粋な疑問から『アドバンスギターズ星野のフォーク紀行 〜フォークソングとアコースティックギターたち〜』にてフォークソングのアーティストや使用ギターにフォーカスを当てて紹介します。
名曲の裏側で、どんなギターが、どんな意図で選ばれ、どんな音色で鳴っていたのか。
私は、プロの楽器店員としてのマニアックな視点と、純粋な音楽ファンとしての探求心を執筆する中で知識を深めていきます。
第2回:高石ともやとフォークの王道Martinドレッドノートたち
第2回のテーマは1960年後半〜1970年初頭に大阪や京都を中心に流行した「関西フォーク」で一世風靡したフォーク・シンガー高石ともや氏の生き様や彼のメッセージ性のある歌詞やメロディとユニゾンするMartinのドレッドノートを紹介していきます。
関西フォーク・ブームを牽引した高石ともや氏とは?
「関西フォーク」「アングラフォーク」と呼ばれる反戦(1960年後半〜1970年初頭にかけて起きたベトナム戦争反対運動)をはじめとする学生運動とその背景を歌にしたフォーク・ソングが関西を中心にムーブメントとなっていた時代に活躍した人物こそ今回の主人公でもある高石ともや氏です。
関西フォークを歌ったアーティストの中には第1回で紹介した加藤和彦氏率いるザ・フォーク・クルセダーズも活躍していました。
関西だけでなく、1969年の新宿西口地下広場ではフォークギターを片手に「勝利を我らに(1963年)」「かっこよくはないけれど(1969年)」をはじめとする反戦フォークを歌ったり討論するフォークゲリラが開催され、延べ5,000人以上の若者や市民が集ったそうです。
写真右上にはフォークギターを弾きながら歌ってる様子が確認できますね。
この場こそ若者が反戦に対する熱い思いを議論し合ったり共感する場としての重要な場だっだのではないかと想像します。
関西フォークの代表曲として挙げられるザ・フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない(1968年)」や岡林信康「山谷ブルース(1969年)」が有名ですが、高石ともや氏が1968年にリリースした「受験生ブルース」は自身が体験した"受験生活と苦悩"をテーマに歌った歌詞は全国の受験生をはじめとするリスナーに深く染み渡ったのではないかと想像します。
曲元を辿っていくと中川五郎氏が1967年にボブ・ディランの「North Country Blues(1964年)」を替え歌として歌っていたものを高石ともや氏がメロディと歌詞を付け替えて歌ったところ90万枚の大ヒットに!
「受験生ブルース」を中川五郎氏と高石ともや氏とで聴き比べてみました。
中川五郎氏の歌う「受験生ブルース」は3拍子のマイナー調で、ボブ・ディランの「North Country Blues」を再現した曲調と替え歌だけありメロディが似ているのに対し、高石ともや氏の歌うバージョンは4拍子のメジャー調になり、陽気な曲調と4拍子に合うような新たなメロディと歌詞はフォークブームにおいて聴きやすく、耳に馴染んだのではないのかと感じました。
「思い出の赤いヤッケ(1967年)」「主婦のブルース(1968年)」などのヒット曲も高石ともや氏の代表曲として全国に広まっていきます。
ちなみに「主婦のブルース」は「かあちゃんのぶるーす」とも呼ばれているようですね。
「主婦のブルース」の曲元はアイルランド民謡「The Housewife's Lament」をベースに中川五郎氏が歌詞をつけて歌ったのがはじまりのようです。
1969年、フォークシンガーとして順調に活躍していたように思えた高石ともや氏にとって重大な出来事が訪れます。
フォークゲリラが民衆の歌という考えを持っているがあまり、次第に高石ともや氏をはじめとするプロのフォークシンガーを商業主義として批判するようになり、高石ともや氏は心身ともにフォークシンガーとしての活動気力を失っていきます。
12月7日(日)大阪フェスティバルホールにて行われた「冬眠コンサート」を機にフォークシンガーとしての活動休止を宣言します。
その後、大阪から福井県名田庄村に移り、大好きだった音楽と距離を置き、家族との時間を過ごすようになります。
その際に、福井県名田庄村の廃校の小学校を借りてご家族と6年間住まれてたという逸話があります。
月に2,500円で借りていたとニコニコしながら話されてる映像も残っていました。
フォーク以外に持つもう一つの顔
名田庄村で過ごすにつれ再び歌を作り始める高石ともや氏は、再びフォークソングを歌うための体力作りの一環として家族でマラソンを始めることになります。
当時住まれていた廃校のグランドで家族と走るにつれてマラソンの魅力を感じていったのでしょうか。
1977年には初めてホノルルマラソン(42.195km)に出場し完走を達成します。
1979年にはご長男が8歳になった時に2人でホノルルマラソンに参加し見事に完走しました。
そう、もう一つの顔というのはマラソンランナーとしての顔です。
なんと1977年にホノルルマラソンに初出場してから2019年まで連続43回という日本人最多出場の記録を持っています。
まさにマラソン回のレジェンドですね。
その後、ハワイでトライアスロンが盛んになり高石ともや氏も興味を持ちはじめます。
「面白そう」と思い1981年に鳥取県米子市にて開催された第一回皆生トライアスロン大会に出場した高石ともや氏はなんと初代王者としての記録を持っているのは驚きです!
皆生トライアスロン大会の15回記念に高石ともや氏が作曲したのが「サマー・タイム・ドリーム(皆生トライアスロンの歌)」です。
原点回帰
1971年高石ともや氏は京都に活動拠点を置き「バック・ステップ・カントリー・バンド」を結成したのちに、「ザ・ナターシャー・セブン」と改名しフォークにカントリーやブルーグラスをミックスさせたジャンルにて世に広まることになります。
「ザ・ナターシャー・セブン」の由来は当時高石氏が住んでいた福井県遠敷郡名田庄村(なたしょうむら)からもじって名付けられたとの話があります。
なたしょう→なたーしょう→なたーしゃーと変わっていったのかなと想像しました。
「セブン」は語呂が良かったからのようです。
再びフォークシンガーとして活動するきっかけとなったのは家族と過ごしたかけがえのない時間とマラソンやトライアスロンで得たエネルギーなのかもしれません。
高石ともや氏の情熱を歌と奏でた4本のMartinドレッドノート
関西フォークで熱く時代背景を歌詞に乗せて歌う高石ともや氏に欠かせないMatinギターを紹介していきたいと思います。
高石ともや氏は多くのMartinを所有しており、彼の音楽には欠かせない相棒的存在だけでなく貴重な個体ばかりでございます。
屋内、屋外のコンサート問わずにヴォーカル用のマイク(SHURE SM58)に加え、ギター用のピックアップは使用せず、サウンドホール前にセットされたマイク(SHURE SM58、SM57など)を使用して音を増幅させている演奏が高石ともや氏スタイルです。
1940年代 Martin D-28
こちらの写真は1946年製のD-28ですが、高石ともや氏の使用する個体と異なるところがペグです。ヘリンボーントリム、ロングサドル、べっ甲柄ピックガードは共通の仕様ですが、1946年製はWAVERLYオープンバックの丸ボタンペグに対し、高石ともや氏の使用するD-28はGROVERシールドバックのバタービーンペグなのが特徴的です。
※画像はイメージです。(1946年製 D-28)
1941年製 Martin D-18
高石ともや氏と同じ生まれ年の1本。この年代の仕様としてはロングサドル、べっ甲柄ピックガード、KLUSONオープンバックの金属製丸ボタンペグが特徴的ですが、高石ともや氏が実際に使用しているD-18の映像を見ると、ペグが金属製丸ボタンペグではなくバタービーンペグとなっています。
1941年前後のD-18(1940年製、1942年製)と比較してみると、1940年製はロングサドルやべっ甲柄のピックガードは共通ですが、ペグはGROVERオープンバックのバタービーンペグに対し、1942年製のD-18になるとKLUSONオープンバックの金属製丸ボタンペグへと仕様が変わっています。
このことから高石ともや氏が所有する1941年製のD-18は1940年〜1941年のペグの仕様が変わる過渡期のモデルということが分かりました。それと同時に1941年製でも2種類のペグを採用した個体が混在していることも分かりますね。
※写真はイメージです。(1941年製 D-18)
1953年製 Martin D-28
この時期のD-28の特徴として挙げられるのがパーフリングに使用されていたヘリンボーンが1947年を機に白と黒のマルチストライプへ変更、ペグがWavelryのオープンバックからKLUSONのシールドバックへと変更といった外観が大きく変わっています。
また、1947年以降よりボディバックに入れられるセンターストリップと呼ばれる装飾の柄がジグザグパターンからチェッカーパターンに仕様変更されているのも見逃せません。
このようにMartinの仕様変更は時代の経過とともに様々な表情を見せてくれます。
※画像はイメージです。(1955年製 D-28)
Martin D-28 Double Pickguard
D-28の中でも珍しい仕様を持つ1本。
7フレットに打たれたドット・ポジションマークが大きいサイズなことに加え、ロングサドル、ペグがGROVERのようなロトマチックではないことを考えると1947年〜1957年までの個体ではないかと推測しています。
面白いのがサウンドホールの左右に貼られたティアドロップ型のピックガードです。
ピックガードが左右に追加されることでクールな印象を与えます。
このギターの前オーナーはマンドリンやブルース奏者のデヴィット・グリスマンという逸話がございます。
「フォーク大集合」という番組にて高石ともや氏が歌った「受験生ブルース」でこのギターが使用されている映像が残っていました。
高石ともや氏を知って...
Martin D-28を手に「受験生ブルース」を歌う姿を映像で拝見しましたが、まるでギター漫談みたいに当時の体験を語りながら笑顔で歌う姿に、微笑ましく楽しい気分になりました。
ザ・ナターシャー・セブンにおいては城田じゅんじ氏のテクニカルなバンジョー、坂庭省悟氏の軽やかなマンドリン、東理夫氏の安定したウッドベースが高石ともや氏のギターとうまくマッチし、ハーモニーあるヴォーカルとゴージャスさある演奏にもシビレました!
フォークシンガーだけでなくランナーとしてワールドワイドに活躍されていたことはこのコラムを書いていなければ知らなかったなと感じ、このような気持ちを思わせてくれた高石ともや氏に感謝し第二回のまとめとさせていただきます。
「高石ともや氏を知るならこの曲も聴いたほうがいいよ」「この曲が好きだったな」というのがありましたらぜひ私に教えて下さい。
そして、取り扱って欲しいミュージシャンやフォークソングにまつわるお話など、皆様からのリクエストをお待ちしております。 私にとっては「当時実際に目にした」「あのコンサートでこのギターの音を聴いた」というような生のお話はとても貴重で、何よりの教科書です。 もしよろしければ、ぜひアドバンスギターズ 星野までご連絡ください。
✉️ aco@tcgakki.com
それでは、次回の『星野のフォーク紀行』でまたお会いしましょう!
ひとこと:音楽のルーツとして通ってこなかったフォークソングというジャンルに触れ、アコースティックギターでストローク以外にもスリーフィンガーを使用しながら楽曲の表現力を引き立てる奏法や加藤和彦氏の魅力を知ることができました。
ザ・フォーク・クルセダーズ、和幸など記事を作成するにあたり聴きすぎたあまり出社時のプレイリストになりました!現在スリーフィンガーを練習中です!
この記事を書いた人:星野(アドバンスギターズ)
2025年1月TC楽器入社。主にエレキギターでインストゥルメンタルを中心に演奏しながら、ギターのニュアンスや表現力を追求しています。
好きなアーティストはB'z、Gary Moore、Allen Hindsなど。
趣味はコピックを使用してイラストを描くことです。
保有資格・実績: 楽器販売員歴10年、楽器鑑定士歴2年
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