FenderからG&Lまで長きに渡りレオと共に歩んできた人物
George Fullerton

「Fender」と言われたら、皆さんは誰を思い浮かべますか?

おそらく大半の方が、創業者であるレオ・フェンダー(Leo Fender)の名前を挙げると思います。もちろん、彼自身の名前がブランド名になっている通り、Fenderの歴史において最も重要な人物です。ですがFender社が大きくなったのはレオ一人の力だけではなく、彼を支えた人達が居たからこそ、今のFender社があります。

ということで今回は、FenderからG&Lまで、長きに渡りレオと共に歩んできた「ジョージ・フラートン(George Fullerton)」にフォーカスを当ててみたいと思います!

Fender時代:レオとの出会いから、テレキャスター・ストラト・フィエスタレッド誕生まで

ジョージ・ウィリアム・フラートンは1923年3月7日にアメリカ アーカンソー州で6人の兄弟全員が音楽をやる音楽一家に産まれました。そんなジョージとレオの出会いは1940年代後半になります。

のちのFender工場の地となるフラートンに住んでいたジョージはトラックの運転手として生計を立てて、週末にはバンドでギターを弾いていました。それ以前は海兵隊や航空会社で機械工として勤務し、電子工学への関心と知識を高めていました。

当時、レオは「Fender Electric Instrument Company」を設立し、サウンドに関する機器の修理やスティールギターとアンプキャビネットの制作を行っていました。ジョージは街の宣伝トラックでFender社を知り、レコードを買いに行ったそうです。それがレオとジョージの出会いでした。

Fender Electric Instrument Co. building with parked car in black and white.

ジョージがギターを弾ける事を知っていたLeoは会社に勧誘していましたが、演奏以外の技術が無いジョージは、Fenderで働く事を躊躇していたそうです。ですがレオの熱意に押されたこともあり、1948年にFender社に入社します。

Fender社で働き始めたジョージは最初スティールギターとアンプの修理を主に行っていましたが、その他にもスパニッシュ エレクトリックギターの開発も行っていました。

このスパニッシュ エレクトリックギターが、後の「Broadcaster(Telecaster)」の原型になります。

またレオとジョージはエレクトリックベースの開発も行い、1951年に「Precision Bass」を開発。

1954年に発売された「Stratocaster」にもジョージのアイデアは取り入れられており、ボディトップに斜めにジャックを刺す(所謂舟形ジャック)はジョージのアイデアでした。

またジョージの妻ルシールはヘッドに記載された「Original Contour Body」というフレーズを提案しました。

今では定番となっている「カスタムカラー」にもジョージは大きく関わっています。

ジョージは赤いギターが欲しいと思い、地元の塗装屋に自分の持っているプロトタイプのJazzmaster(エボニー指板というレア仕様)を持って行き、塗装をしてもらいました。これが最初のカスタムカラーと言われています。

その色は当初、社内で「Fullerton Red」と呼ばれていましたが、カタログなどに掲載する際に「Fiesta Red」という名前に変更されました。

CLF Research、そしてG&L設立へ:レオと共に歩んだ後半生

ジョージはデザインからプロトタイプの制作や生産ラインの管理など多岐に渡り責任を持っていました。1965年にCBSにFender社が売却されレオがFender社を退いた後もジョージは1970年までFender社に在留をしました。

その後、1974年頃には、Leoが新たに設立させていたCLF Research社に合流します。

CLF Researchはレオが新たに楽器の開発/研究/生産を行うために立ち上げたブランドで、カリフォルニア州フラートンに工場を持ち、レオが元Fender社員のフォレスト・ホワイトとトム・ウォーカーと共に設立していた「MUSIC MAN」に楽器を出荷していました。

CLFでジョージは副社長として働き、新たなモデルの開発や生産ラインのプロセスの確立を行いました。

ですが1979年にMUSIC MANとCLF Researchの間で確執が生まれます。

そしてジョージはレオと新たに、それぞれの名前の頭文字を取ったG&L社を設立します。

ここにはFender社がCBSに買収された1965年にFender社を去ったデール・ハイアットが合流します。

ジョージはレオと共にそれまでの知識をG&L社に注ぎ込み、デザイナーとして多くのモデルやパーツの開発を行います。

 G&Lからはフラートンのシグネイチャーモデルも発売しています。

1986年に健康上の理由で株式をレオに売却した後も副社長兼コンサルタントとして残り、1991年にレオが他界し、BBE Sound社へ買収された後も2007年までG&L社に献身しました。

(1986年に株式を売却した際に社名がGeorge&LeoからGuitars by Leoへと代わりますが、引き続きG&L表記のまま)

2007年から2009年に亡くなるまでの晩年、ジョージはFender Custom Shopのコンサルタントとなり、「George Fullerton 50th Anniversary Stratocaster」など彼にちなんだ商品も発売しています。

FenderからCLF Research、そしてG&Lまで、レオが設立した会社へジョージがかなり携わっているのを見ると、レオが如何にジョージを信頼していたかが伺えます。

Fenderを語る上で外す事の出来ない人物です!

あとがき

レオ・フェンダーと共にFender、Musicman(CLF Research)、G&Lと渡り歩いたジョージ・フラートンは、歴史を紐解けば紐解くほどエレキギターの歴史に欠かす事の出来ない人物だと思うと同時に、もっと多くの方にフラートンを知って欲しいという想いが湧き、今回この記事を書きました。

これを機会にもっと多くの人にフラートンが関わった楽器に触れて頂ければ嬉しいです。

この記事を書いた人:二瓶(TC楽器 エレキギター担当)

中学生の頃に漫画・「BECK」でギターを知り、Red Hot Chili PeppersやNirvanaに影響され、ロックに目覚める。
ギター製作の専門学校を卒業。TC楽器アコースティックフロア、TC楽器プレミアムギターラウンジのスタッフを経験。現在エレキギター担当としてコラム執筆、YouTube出演等でも積極的にその楽器愛を広めている。

保有資格・実績: 楽器鑑定士歴8年

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