フォークソング・ジャンボリー - TC楽器 - TCGAKKI

時代を彩るフォークソングと、楽曲を奏でてきたアーティストのギターにスポットをあててご紹介するコラム!
どのアーティストも年代やステージの規模やコンセプトなどで使用するギターは多岐に渡ります。
「当時はやはりこれでしょ!」「今はこれがメインですよ!」などなど、様々なご意見があるかとは思いますが、今回は多くのギターの中からコレ使ってますよね!?
そんなギターをセレクトしてご紹介させていただきます。

不滅のフォークソングと今なお輝き続けるアコースティックの魅力!ここにご紹介です!

「世界中の民謡を紹介する」

ザ・フォーク・クルセダーズ
帰ってきたヨッパライ 1967.12

まさに1960年代後半から70年代の日本のミュージックシーンをリードしたと言っても過言ではない、トノバンこと加藤和彦氏率いるザ・フォーク・クルセダーズ。
日本のフォークソングをじっくり聞いたことが無い方、加藤和彦氏をよく知らない、そんな方々でも絶対に知っている楽曲がこちら「帰ってきたヨッパライ」。
ザ・フォーク・クルセダーズのデビュー曲であり代表曲。初版レコードでは「帰って来たヨッパライ」ってなっていたこと、ご存知でしたか!?

 

メンバーから中心人物である加藤和彦氏のギターをセレクト!
ご本人のモデルもありますが、この4本をクローズアップ!

・MARTIN D-45(加藤和彦)
MARTIN社が誇る最上位機種!アコースティックギターの頂点とも言えるモデルです。
厳選された材が入手できた時のみ生産する、そんなこだわりのスタンスもD-45が最高峰であり続ける理由です!

 

・MARTIN D12-20(加藤和彦)
スロッテッドヘッドに12フレットジョイントのシルエットは多くのミュージシャンを虜にしております。
マホガニーボディのふくよかなサウンドでフォークファンには垂涎の1本です!

 

・MARTIN D-28(加藤和彦)
MARTINドレッドノートのベストセラーと言えばこちら!パワフルで音量感も充分!
コード弾き良し、アルペジオ良しの万能ギターです!

 

・MARTIN OOO-28(加藤和彦)
ローズ・ウッドの張りのある中低域に、トリプルオーのボディサイズが紡ぎ出すクリアでレスポンスの良い高域がベストマッチ!
フィンガリングで聴かせるフレーズを鳴らせたらピカイチ!

 

「フォークソング創世期の偉人」

高石ともや
受験生ブルース 1968.3

関西フォークの旗手として同時代のミュージシャンをまさに率いるかの如く活動していた高石ともや氏。
なんと言っても代表曲はこちら「受験生ブルース」!
歌詞を地で行き、音楽活動に熱中するがあまり予備校ブルースに転じた若者も多かったはずです!
近年はマラソンランナーとしても活動、しかも大会で優勝など活躍もしております!
健康がエネルギーとなり、音楽にも磨きがかかるのかもしれませんね。
今聞いても共感できる普遍的な歌詞ですが、公園のアベックに石を投げてはいけません。

 

高石ともやも数多くのギターを使用されておりますが、印象深い1本はこちら!

・MARTIN D-28
1931年の発表以来細部のマイナーチェンジを繰り返してきたD-28ですが、基本的な構造はずっと変わっておりません。
完成度の高いギターとして長く信頼され愛されているスタンダードなギターであることの証でもあります!

 

「フォークの神様」

岡林信康
山谷ブルース 1968.9

デビュー曲「山谷ブルース」はやはり鮮烈な印象の楽曲。
実際は「ほんじゃま おじゃまします」という楽曲がデビュー曲で「山谷ブルース」はそのB面に収録予定でしたが、ご存知の通り過激な歌詞の岡林信康氏。「ほんじゃま おじゃまします」はお蔵入りとなってしまいました!
当時は奇しくもメッセージを楽曲にする時代。岡林信康氏もギターの達人が曲を作っていたわけではありません。
なんと「山谷ブルース」は今弾けるコードだけで作曲したそう!驚きです!

 

 

若かりし頃の印象はやはりMARTINでしょうか。
近年はカスタムメイドでお馴染みのTERRY’S TERRYを愛用されております。

・MARTIN D-35
D-28と双璧を成す人気モデル!しかしフォークシーンではやはりD-35の支持が高いです!
音量感もありながら、きらびやかでバランスの良いトーンはやはり弾き語りには欠かせないサウンド!

 

・TERRY’S TERRY カスタムモデル NO.9
テリー中本こと中本輝美氏が設立したギターカンパニー「TERRY’S TERRY 」。オーダーメイドのハイエンドギターを製作しております!
岡林信康氏の使用はシリアルNO.9!

 

「吉祥寺フォークの第一人者」

高田渡
高田渡/五つの赤い風船 1969.4

アメリカン・トラディショナル・フォーク、ブルーグラス、カントリーに日本語の歌詞を堂々と乘せ、色濃いメッセージソングを歌いあげた高田渡氏。「歌いたいところで歌う」非常に人柄が伝わるモットーです。
デビュー作品の五つの赤い風船とのカップリングアルバム「高田渡/五つの赤い風船」をセレクトさせていただきました!
全国どこの土地にも「高田渡に影響を受けた」と言うミュージシャンがいるという逸話があるそうです。
それだけの情熱が氏の音楽には詰め込まれていることの証明ですね。

 

 

LAKEWOODなどの使用もありますが、やはり1番のイメージはテリー中本氏製作の高田渡モデルではないでしょうか。
印象的な3本をセレクト!

 

・YAMAHA 高田渡モデル
その名の通りご本人のモデル!YAMAHA FG-2000がベースになっておりますが、14フレット以降はフレットレス!
「そんなとこ弾かないからフレットいらないよ!」そう言って高田渡氏がこの仕様を希望されたそうです!

 

・MARTIN D-28
トップ材がスプルース、サイドとバック材がローズ・ウッド、この組み合わせのギターと言えばD-28が必ず思い浮かびます!
「D-28の方が高域が・・・」などアコースティックの基準値としても語られるギターです!

 

・MARTIN D-45
厳選された45用の材料が入手できなければ生産しない!そんなこだわりのギターがD-45です。
上記材料はもちろんですが、実は製造する職人も厳選されております!材料があっても職人がいないと生産されません!

 

「フォーク黎明期に現れたグループ」

五つの赤い風船
遠い世界に 1969.5

中心人物である西岡たかし氏の当時を知る中川イサト氏のコメントは「変わった人で、ベレー帽に黒縁のメガネ、長靴をはいてバンジョーを持ち、当時珍しかったフレリング奏法をやる奇妙なオッチャン」だそうです。
「遠い世界に」の歌詞は少しばかりのメルヘンチックさで時代背景をうたい、直線的ではない内容で人生観というメッセージを伝えています。
ライブの饒舌なMCも有名ですが、曲間だけでなく曲中もずっとしゃべっていたというのも西岡たかし氏らしいエピソードです!

 

ギターに限らず多くの楽器を使用してきた西岡たかし氏、スタンダードなこの2本はやはり使用されています!

 

・MARTIN D-35(西岡たかし)
D-35とD-28との比較で、材料は同じでバックが3ピースか2ピースの違いでそこまでサウンドに変化があるもの?
そんなお話を良く聞きますが、実は最も差異があるのはトップ材のブレーシングです!
D-35は6.35mm厚、D-28は7.94mm厚の材が用いられているため振動率の違いで変化が得られております!

 

・GIBSON J-45(西岡たかし)
世界的にアコースティックを代表するギターとなったJ-45。
その出発点は1942年、ライバルMARTIN社Dモデルへの対抗馬として考案されたラウンドショルダー型Jモデルでした!
そこから70余年、音楽界を背負って立つ2枚看板DモデルとJモデルは共に未だに良きライバルとして存在しております!

 

「フォーライフ・レコード初代社長」

小室等
私は月には行かないだろう 1971.4

自身の音楽活動は元より、多彩なバンド活動やラジオのパーソナリティ、ドラマ音楽、映画音楽、演劇音楽などの作成でその才覚を発揮し続けています。
デビューとなる「私は月には行かないだろう」でみせるのは、反骨さとエネルギー!
思えば日本の音楽シーンにフォークシーンを値付けさせてしまうことになる張本人ですから、その力強さも当然だったのかもしれません。
井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげると立ち上げたフォーライフ・レコード初代社長としても有名ですが、その選出方法は多数決で結果は満場一致で小室等氏が選出。それってつまり、小室等氏自身も自分に投票してますね。

 

ソロ、バンド、作曲家とその仕事内容で使用ギターは本当に多岐に渡る小室等氏。
こんな3本をセレクトしてみました。

 

・MARTIN D-28S
スロッテッドヘッドに12フレット・ジョイントの仕様で外観も印象的な1本!
中低域にさらに迫力が増したサウンドは当時の国内外のフォークシーンで人気を博した銘器!

 

・MARTIN D-35
D-28との比較でポイントになる点として「フレット・エッジ・バインディング」があります!
外観はもとより、ネックの握りとプレイアビティそのものにも変化が生まれます。D-35がプロに根強い人気の一旦が見え隠れする仕様です!

 

・YAMAHA FG-1500
時代もYAMAHAも高度成長期のど真ん中!1971年に登場したYAMAHA初のフル・ハンドメイドのハイエンド・アコースティックギターです!

 

「シラケ世代の共感を歌で呼ぶ」

加川良
教訓 1971.6

衝撃的な事件としても知られるそのデビュー、高田渡氏が1970年中津川フォークジャンボリーの舞台に加川良氏を引っ張り出すという前代未聞の展開によるものでした。
メインステージのほとんどのシンガーが帰れコールを浴びる中、大声援に変わったという逸話は語りぐさ。
そこで歌われた楽曲こそ「教訓」でありました。
反戦の歌と言われることの多い楽曲ですが、実際は命の歌。それゆえに普遍的に愛され、歌われ、聴き続けられるのではないでしょうか。
吉田拓郎の楽曲「加川良の手紙」ではズバリご本人のことを歌われておりました。
加川良氏の名前は芸名であり、加山雄三の加、長谷川一夫の川、池部良の良を組み合わせたものであるそうです!

 

加川良氏と言えばやはりYAMAHAをイメージします!
カスタムモデルの使用もありますので、製品化されているものからこちらをセレクト!

 

・YAMAHA LL-10
70年代に時代のスタンダードとして人気だったLシリーズが10年の節目にリニューアルされたのがLLシリーズ!
ヘッドのLLロゴのデザインにグッときた方も多いのではないでしょうか!

 

・YAMAHA S-51
四天王の異名を持つYAMAHA L-51の進化系として登場したギターです!
L-51は左右非対称なデザインのギターでしたが、音量・音質のバランスを取り左右対称にしたものがS-51でした!

 

「フォークをメインストリームに押し上げた男」

吉田拓郎
人間なんて 1971.11

「ボクは自分から出てくるものを歌にしているのです。自分の歌について、人がどう思おうと、全然構いません。自分じゃよくわからない。」そう語った明日に向かって走るヒーロー吉田拓郎氏。
「人間なんて」はまさに日本のフォークシーンそのものを代表する曲となりました。
ライブのラストナンバーとして用いられ、永遠の大合唱。そんなシーンをご存知の方も多いかと思います。
硬派で知られる吉田拓郎氏、フォークシーンには奇しくも「メジャー路線に乗ることは悪」、「商業主義はナンセンス」といった風潮がありました。時代の風雲児吉田拓郎氏には多くの女性ファンもおり、本人の意思とは裏腹にメインストリームの視線が多く集まります。レコード発売の店頭キャンペーンやテレビ撮影の現場では「天狗」と多くの誤解を受け、殴り合いのケンカもあったそうです。シーンのトップを行く吉田拓郎氏ならではエピソード。

 

「加藤和彦大先生が、わざわざを持ってきてくれた」と本人が語るの1967年製のGIBSON J-45。
その他J-200なども使用されますが、各社に渡ってこのラインナップをセレクト!

 

・GIBSON J-45
吉田拓郎氏所有の1967年製のJ-45といえばモダンロゴ!ヘッド角は14度でナット幅39mmのナロー・ネック仕様!
厚いラージ・ピックガードと弦高アジャスト機能を持つアッパーベリー・ブリッジ搭載したモデルとなります!

 

・MARTIN D-35
吉田拓郎氏の所有は1971年製!近現代の製品と比べると経年変化もありより甘くやわらかなサウンドが印象的!
先にご紹介したJ-45とこのD-35はやはり吉田拓郎氏をイメージすると同時に浮かんでくるギターであります!

 

・YAMAHA L-53
ファンの間では四天王と呼ばれるYAMAHAを代表する国産ヴィンテージ4機種の中の1本です!
オール単板仕様で、バックはセンターにエボニーを用いた3ピースのハカランダ!
ヘッド、ボディ、指板、ブリッジに散りばめられたアバロンのきらめきがものすごい!!

 

・GUILD F-50
メイプルサイド&バックにアーチバック仕様で上記2本とは対極のサウンドが得られるギター!
サイズ感も一回り大きなジャンボ!GUILD Fシリーズのフラッグシップモデルでもあります!

 

「KING OF LIVE」

RCサクセション
初期のRCサクセション 1972.2

世間一般ではロックのイメージが強いRCサクセションもデビュー当社はフォーク。
確かにフォークではあるものの、素直な表現で自己と対峙し思春期の意見を語り、強烈なまでの忌野清志郎氏の個性光るボーカルが先導することで大きく支持されていました。
デビュー・アルバムとなる「初期のRCサクセション」。タイトルも面白いですが、注目は8曲目と9曲目の並び。
8曲目は「この世は金さ」、そして9曲目は「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」。もうサイコーです!
1991年の無期限の活動休止から長く待たれていた再始動、2009年に忌野清志郎氏が亡くなったことで事実上の解散となりました。

 

圧倒的なライブパフォーマンスを繰り広げるRCサクセションの中から忌野清志郎氏のギターをセレクト!

 

・GIBSON HUMMINGBIRD(忌野清志郎)
GIBSON社初のスクエアショルダーのギター!ピックガードに描かれたハチドリが印象的!
サウンドはもちろんのことながら、強烈なステージ映えを含め、その外観に魅入られ手にする人の多い魅惑のギターです!

 

・GIBSON J-200(忌野清志郎)
その登場は1937年まで遡ります!当時の型番はSJ-220!「moustache(口髭)」と呼ばれるブリッジが印象的な1本!
分厚いボディで大音量で鳴りまくるギターでその愛称はズバリ「キング・オブ・フラットトップ」!

 

・MARTIN D-41(忌野清志郎)
D-28をベースにして装飾を施した1本!
D-45の様に厳選された材を使用するのではなくMARTINの通常ラインナップの材を使用します。
そこにD-45さながらの装飾を施していった1本となります!

 

・ほら貝(忌野清志郎)
ステージ上で圧倒的な存在感を放つほら貝!もちろんほら貝ソロ・タイムもございます!あ!ギターじゃない!

 

 

「才能豊かな破天荒」

泉谷しげる
春夏秋冬 1972.4

ギターをかきならし、まるで怒っているかの様に歌う、そんな姿が印象的な泉谷しげる氏。
「てめえら!」「バカヤロウ!」そんな暴言が飛び出すMCはデビュー当初から変わらず。
メッセージ性の強い楽曲同様チャリティー活動にも積極的で、その心あたたまるエピソードには事を書かない人物です。
泉谷しげる氏2枚目のシングルで最大のヒット曲「春夏秋冬」。数多くのミュージシャンがカバー。この楽曲がいかに愛せれているのかを物語っております。ベタですが、今日ですべてが~のあの件、何回聞いても奮い立たされます。
青年期に自宅が家事で全焼し、エレキギターやアンプを全て失った事をきっかけにアコースティック1本で音楽を表現しだしたそうです!大ヒットしたアルバム「春・夏・秋・冬」のプロデュースは加藤和彦氏。

 

ライブではエレキギターの使用も多い泉谷しげる氏、セレクトしたMORRISは「これが無くなったらライブをやめる!」と言わせしめる同氏の重要アイテム!

 

・MORRIS TC-601
天然木材と同様の構造を持つハイ・テクスチュア・グラファイトをボディ材に使用した1本!
泉谷しげる氏の激しいパフォーマンスにピタリとはまるギター!

 

・GIBSON J-45
泉谷しげる氏は近現代の新品のJ-45を使用されております。
実はコチラ、買った直後のライブで使用して1曲目で勢いでボディを叩いたらナントトップが真っ二つに割れたそうです!
その後修復を重ね、今でも大事に傷だらけにして使用されているそうです!

 

・GIBSON HUMMINGBIRD
ジャキっとした歯切れ良くアタックの効いたサウンドが特徴の1本!
特異かつ特出したこのサウンドの秘密はショートスケールとアジャスタブル・ブリッジの併用からきております!

 

・RAINSONG DR1000
オール・グラファイト製のギター!グラファイトは金属的なサウンドという印象を覆すナチュラルなサウンドが売り!
ネックももちろんグラファイト!その高い強度で反りにも悩まされません!名前の通り悪天候にも強く野外ステージでも大活躍します!

 

「70年代のフォークとニューミュージックを牽引」

井上陽水
夢の中へ 1973.3

井上陽水氏を代表するどころか日本のポップソングを代表する楽曲と言っても過言ではない「夢の中へ」。
休むことも許されず這いつくばって探した、かばんの中の見つかりにくい物とはいったいなんだったのでしょうか?
70年代当時のフォークシーンではMCで面白い事を言って観客を盛り上げるのは常套句、フォークシンガーは喋れなければダメと言わんばかりの風潮でした。
ステージでMCをほとんど行わないことでも有名な井上陽水氏。そこの輪をかけるようにステージで弦を切った井上陽水氏は、なんとギターを置いて新品の弦を取り出し黙々と弦交換を始めたそうです!
何ともいえない光景が想像されますが、一見マイペースに見えるこの行動も音楽に真摯な井上陽水氏らしいエピソードです。
ちなみに井上陽水氏は本名ですが、本当の読みは「ようすい」ではなく「あきみ」です。

 

時代ごとに印象深いステージを繰り広げる井上陽水氏、使用ギターからはこちらをセレクト!

 

・GIBSON J-45
70年代に井上陽水氏がステージ上で使用していたのは、モールド仕様の厚めのピックガードにアッパーベリーのブリッジの1本。
ここまでは通常ですが、サドルはアジャスタブルではなく固定式!サウンドの好みとステージでの音響特性を考慮して交換していたのではないでしょうか!?

 

・GIBSON J-160E
ジョン・レノンとジョージ・ハリスンの使用で有名なギターJ-160E。
井上陽水氏も60年代の1本を使用していますが、オリジナルの仕様ではないGIBSONロゴ入りピックガードに貼り直しされております!

 

・GIBSON LG-0
アルバム「氷の世界」で構えているギターこそコチラ!なんとこのギター忌野清志郎氏から借りていたギターだそうです!
オリジナルの仕様との相違点はテイルピース。GIBSON社のBシリーズの12弦かの様な外観になっています。

 

・YAMAHA FG-150
YAMAHAが製作した国産初のフォークギターことFG-150!
井上陽水氏が初めて買ったギターでもあるこの1本から往年の名曲が数多く生み出されております!

 

「光り輝くおいちゃんの個性」

南こうせつとかぐや姫
神田川 1973.9

「神田川」を聞いて自身の学生生活を思い出す。そんな話はよく聞きますが。
歌詞の「横丁の風呂屋」ですが新宿区西早稲田に「安兵衛湯」という銭湯がバス停裏に存在しておりました。
こちらがモデルなのでは!?と憶測されておりますが、現在は廃業されてしまっております。残念です!
ちなみに作詞・作曲ともに南こうせつ氏と思われている方も多いかと思いますが、作詞は作詞家家の喜多条氏、作曲は南こうせつ氏であります。
累計販売枚数160万枚を記録した神田川、発売年の1973年にはもちろん紅白歌合戦からのオファーがきました。
ところがここで一悶着。歌詞の中にある有名なあのワンフレーズの「クレパス」、これが商標登録であるとして、NHKから「クレヨン」に変更してくれないか、と言われてしまします。しかしこれを拒否した南こうせつとかぐや姫。この年の紅白歌合戦出場を辞退するという異例の自体になりました。

 

中心人物の南こうせつ氏、2014年には生誕65周年・デビュー45周年の年にご本人のシグネイチャーモデルもYAMAHAから発売されておりますが、過去のライブなどで使用されたギターからバラエティ溢れるこちらをセレクト!

 

・GUILD D-50
GIBSON、MARTINという2大巨頭に負けず劣らずフォークシーンのミュージシャンに使用されたGUILD!
アタックが効いた輪郭のハッキリしたトーンも同社ならではのカラー!
その中でも最上位機種として人気の高いモデルがコチラ!南こうせつ氏使用は1973年製の1本!

 

・OVATION SUPER ADAMAS
その独特な外観が目を惹くOVATION SUPER ADAMAS!KAMAN社は元々ヘリコプターの羽を製造しておりました!
振動をコクピットに伝えない技術が転じて、最大限にボディの振動をピックアップする技術へと発展していくのです。面白い!
南こうせつ氏使用は1978年の1本!

 

・MARTIN OOO-28
エリック・クラプトンの使用があまりにも有名なOOO-28!
OOOサイズならではの演奏性とレスポンスの良いサウンドはフィンガー・ピッカーのみならず叙情的な詩歌が存在するフォークシーンでも大活躍!
南こうせつ氏使用は1949年の1本!

 

・MARTIN D-76
アメリカ建国200周年を記念して発売されたモデル!
D-45と同じグレードの木材を使用し、D-35スタイルの3ピースバックとしたモデルです!
鷲のヘッド・インレイ、星形のポジション・マークが特徴的な、ある意味MARTINらしからぬ1本!

 

「フォークソング界の紅一点」

イルカ
なごり雪 1975.11

小柄な女性が大きなMARTINを抱えて優しく歌い上げる様は、多くの女性フォークシンガーのフォロワーを生み出しました。
イルカのニックネームの由来は、女子美術大学在学中にギターケースを持つ姿を見た友人に「イルカの群れみたい」と言われのがきっかけ。女子美術大学というだけあり、ご本人は絵本作家としても活動し、のちに女子美術大学客員教授にも就任されております。
ご存知の通り「なごり雪」はかぐや姫のカバーであります。
実はイルカさんテイクのシングル盤のレコーディングのメンツがものすごい!
アコースティック・ギターは吉川忠英、エレキギターは鈴木茂、ベースは後藤次利、ドラムは村上PONTA秀一という悶絶メンバーが集結しておりました。
1992年に紅白歌合戦に初出場します。歌ったのは「なごり雪」そして対戦相手はなんと南こうせつ氏でした!

 

イルカさんの使用ギターと言えばこちら!まさにトレードマーク!なんと3本所有しております!

 

・MARTIN D-35
通称1号は1972年製、ソロでミュージシャンをやるには良いギターが必要だと旦那様にご購入いただいた1本!
通称2号は1967年製ハカランダ仕様の1本!コチラは1号を修理に出す際に用意した1本!
そして通称3号はなんと小室等氏所有の1本を譲っていただいたという同じく1967年製の1本です!

 

「叫びの象徴」

長渕剛
巡恋歌 1978.10

デビュー当時、時代はすでにフォークブームが過ぎた後であり、細身で長髪姿の長渕剛氏は「遅れてきたフォーク青年」とさ言われておりました。
吉田拓郎氏にあこがれ上京し、デビューとステップアップを重ねあこがれの吉田拓郎氏ともステージを共にしております。
長渕剛氏は「雨の嵐山」というタイトル曲にて演歌・歌謡曲路線で売り出されていた過去があり、一度ミュージシャンとしての挫折を味わいます。その後の再起をかけて放った楽曲こそがこの「巡恋歌」。
オリジナルはバンド演奏ですが、ライブではアコースティックギターとハーモニカだけで独唱するパフォーマンスが有名です。
独特な表現をする同氏はギターを弾く力強さを「叩く」と表現し「アコースティックギターは弾くものじゃなく、叩くもの」という持論を展開しています。その音楽性から一般にクローズアップされることは少ないですが、実際には卓越したスリーフィンガーなど、ギタープレイヤーとしての腕前もスタジオ・ミュージシャン顔負け!
現在一般的となったブルース・ハープ用のハーモニカホルダーの形は同氏が考案したものです!

 

60~70年代の国内外のミュージシャンの影響を受けている同氏は使用ギターもかなり多いですが、シグネイチャーモデルの発売もされているTAKAMINEの印象が強いのではないでしょうか。

 

・TAKAMINE NPT-012
ジャンボサイズのボディのエレアコ!TAKAMINEの90年代を代表するNPTプリアンプ搭載のエレアコ!
初期モデルはプリアンプのLEDが赤!もちろん長渕剛氏の使用は赤であります!

 

・TAKAMINE DMP-500-6
シンプルなブラックのカラーリングに6連ペグのデザインが渋い!
真空管1本を搭載したプリアンプを装備したエレアコ!エア感のあるサウンドで大流行したプリアンプ!
手持ちのTAKAMINEのプリアンプをこれに載せ換えるたいという人が殺到して、発売後プリアンプが先に品切れなる事態となりました!

 

・GIBSON L-00
太めの三角ネックの独特な演奏感!枯れたブルージーサウンドを紡ぎ出すアメリカン・アコースティック・ギターの象徴的1本!
長渕剛氏使用は1930年代後期の1本!

 

・TERRY’S TERRY カスタムモデル NO.1
テリー中本こと中本輝美氏が設立したギターカンパニー「TERRY’S TERRY 」。
テリー中本氏とはデビュー当時からの親交がある長渕剛氏。使用の1本は驚きのシリアルNO.1!

 

「4000回を超えるライブパフォーマンス」

さだまさし
関白宣言 1979.7

毎年100本に及ぶコンサートを開催しているにも拘わらず、未だにチケットはプレミアムクラス!
軽快なトークと人懐っこい表情、そしてあの神がかった歌声で多くの世代のファンを魅了するミュージシャンさだまさし氏。
小説家としての活動やテレビ・CMソングなども手がけています。北の国からの楽曲はあまりに有名ですね。
「関白宣言」は発表当初女性軽視だと苦情が来たそうです。なんとも悲しい。この楽曲以上に奥様に向けての愛のメッセージはありません!
私生活ではメガネをしないさだまさし氏、メガネをかけることを「ひらがなになる」と呼んでいます。
本名の「佐田雅志」からミュージシャンの「さだまさし」に変身を遂げることを指すそうです!

 

YAMAHAのカスタムモデル、Terry's Terryの使用などの使用イメージが強いかとも思われますが、グレープ初期時代からMARTINを多く使用されています!

 

・MARTIN D-45 TREE OF LIFE
1993年に50本だけ製作されたカスタムギター!
ベアクロウ・シトカ・スプルースとハカランダという超高級材の使用と、ヘッド、指板、ピックガード、ブリッジまでに施されたアバロンによる「TREE OF LIFE」の装飾が光輝きます!さらにペグの施された彫金がこれまたスゴイ!

 

・MARTIN OOO-21
1902年に世界初のオーディトリアムが登場して110余年。未だに世界のトッププレイヤーが愛するギターです!
さだまさし氏は主にレコーディングで使用されております!

 

・YAMAHA L-55 CUSTOM
1970年代後半には世界的にもYAMAHAの高級ギターとして定着していたLシリーズ!
1980年に発表されたLシリーズの完成形ともいえるギターがコチラのL-55 CUSTOM!もちろんテリー中本氏のサイン入り!

 

・YAMAHA LL-120MS CUSTOM さだまさしモデル
FGシリーズの上位モデルとして生まれたLシリーズから発展したLLシリーズの名を冠した2002年発表のギター!
これがなんとYAMAHA初のアーティストモデルとなります!

 

「九州から大型台風上陸!熱い喉が衝き叫ぶ!」

チャゲ&飛鳥
万里の河 1980.9

チャゲ&飛鳥3枚目のシングルで初のトップ10入りをはたしたヒット曲「万里の河」。
儚い愛の歌ながら、編曲の妙もあり独特な世界観とインパクト絶大なサビが聞くものの心をガッチリと掴みました。
同曲収録のアルバム「熱風」はオリコン初登場1位を記録し、1981年には全国60本にも及ぶ「熱風ツアー」が行われました。
90年代の2大ヒット曲「SAY YES」「YAH YAH YAH」でまさにポップソング界の頂点を走っていたチャゲ&飛鳥。
デビューのきっかけはヤマハ主催のポピュラーソングコンテストでのアコースティック・デュオを組んだことです。
飛鳥の紡ぎ出す叙情的なメロディと歌唱力は当時フォーク演歌と呼ばれていました。
ちなみに90年に名称を「チャゲ&飛鳥」から「CHAGE & ASKA」に変更しますが、これは当時海外での活動時に「飛鳥」のアルファベット表記を「ASUKA」にしていたところ「アスーカ」と発音されてしまっていた為、正しく発音してもらう為に変更したもの。世界で活躍していたからこその珍事でした!

 

90年代以降、ステージではエレキを持ったり、マイクのみでのパフォーマンスと変化も様々です。
初期からの印象深いギターは各々のYAMAHA Lシリーズではないでしょうか?

 

・YAMAHA L-52 CUSTOM(飛鳥)
サイドとバック材にメイプルを用いて、サイズも17インチと特大!
のちにカントリージャンボという新たらしいシリーズを生み出すことになる原型となったギターがコチラです!

 

・MARTIN D-35(飛鳥)
多くのミュージシャン同様飛鳥氏もフォークシーンの銘器D-35はもちろん所有!
MTVアンプラグドでのライブで使用していたのもコチラです!

 

・YAMAHA L-53 CUSTOM(チャゲ)
1975年から1980年まで製作されていたL-53 CUSTOM!
ボディサイドとバックにハカランダを用いて明瞭で音抜けの良いサウンドを獲得しております!
ヘッドにあしらわれた特大のアバロン・インレイが印象的な1本です!

 

・GIBSON J-50(チャゲ)
GIBSON J-45のナチュラルカラーとして登場したJ-50!
チャゲ氏使用はラウンドショルダーの1960年代の1本!

 

アメリカで生まれた民謡調のポピュラーミュージックであるフォークソング。
日本で独自の発展を遂げ、ギターを弾き語りソロで歌うだけでなく、時にはバンド形式でも演奏されます。
反社会の色濃いメッセージソングだけではなく、淡い恋心や表現豊かな物語を奏でる名曲も個々日本には多数あります。

ジョーン・バエズ風に学生達がカレッジ・フォークを、ヒッピー達はボブ・ディランよろしく吟遊詩人を目指していたのかもしれません。
形はどうであれ、今や日本の音楽の原風景とも言えるフォークソング。
どんなギターで、どんなミュージシャンが、どんな気持ちで歌っていたのか。

あの頃あこがれたギターを片手に、名曲を今一度耳にしてみてはいかがでしょうか。
きっと新たな発見があるはずです!

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