【普通】のヴィンテージサックスの演奏であれば、依頼する奏者に悩むことはない。ヴィンテージの扱いに手慣れたジャズの名手ということであれば日本には大勢いる。ただ、今回の楽器は【普通】ではない。まして、完全動作するVaritoneを吹いたことのあるプレイヤーは、日本にはいないだろう。この楽器の特性・可能性、または限界などを念頭に置きながら、いくつかの条件に応えてくれる奏者を望んだ。
まずはエフェクターの扱いに長けていること。当然ながら、これは外せない。アナログ・エフェクターならではの曖昧な反応をコントールしなければならないし、エフェクト効果自体もデジタルに比べると、なんとも牧歌的。要は全般的に反応がヌルい。この厄介な機能を実際の演奏に取り込むには、高い経験値とエフェクトに対するセンスが要求される。
photo 次に多彩な音楽性を有していること。かつて、このシステムを使ったジャズプレイヤーの演奏を聴くにつけ、この電気サックスの真価が伝わりやすいのは、ジャズの垣根を越えたところにあると実感した。ビバップやモダンジャズのフォーマットに則った演奏では、ああ、なるほどね、で終わってしまう。
Varitoneの醍醐味は、生音とエフェクトされた音の混じり合いにある。音の変化にインスパイアされながらフレーズを紡ぎ出していくような、、、ノンジャンルの《即興演奏》を夢想していた。
最後は絶対条件ではなかったが、アメセルのマークシックスをメイン楽器に使っていないプレイヤーであること。願わくばセルマー全般にさほど魅力を感じていないような猛者であれば、なお良し。
Varitoneシステムは名器アメセルのマークシックスに、わざわざ響きを止めてしまう配線管を張り付け、大切なネックに穴を開けたような異形(キワモノ)である。シックス好きならば、まずこの楽器を見た途端、なんてことを…と落胆するのは間違いない。まして、シックス本来の音を高く評価している立場からすれば、こんなにもコンディションの良いシックスにわざわざ電気を通さなくてもイイのにと、のっけからテンションは下がりっぱなし。それでは困る。
実際、数名のプレイヤーに『じつはウチの店にこういうモノがある』とアナウンスして反応を伺ったことはあったのだが、案の定『ああ、知っている、アレ勿体ないよね』とか『ただ、エフェクター繋いでるだけでしょ』など、冷ややかなセリフが反ってきたこともあった。100%面白がってくれる奏者でないと、この楽器の魅力をプレイに反映させるのは難しい。そう感じていた。
デモ演奏
結果はご覧の通り。運命の遭遇から数日後、田中氏来店。お願いしたのは、ビバップはなしということでヨロシク(苦笑)、あとはお任せします、それだけ。機材の動作チェックを含め10分にも満たないリハーサルのすぐあと。ぶっつけ本番がこのデモ演奏である。
場所は当店3F売場。入り口のカウンター前の手狭なスペース。画面では判らないが、スポットライトの強烈な熱ビームが氏を直撃照射していた。そんな劣悪な環境にも拘わらず、期待以上の素晴らしいパフォーマンスを披露。
selmer 《Varitone》が持つ機能をここまで発揮させた演奏は、過去に一度たりともなかった。1965年に遡り、開発者にこのデモ演奏を見せたら、いったいどんな反応を示しただろうか?今後、この楽器の音源資料として、幾度となく紹介されることは間違いない。
※コントローラーボックスはサックス本体下方のキィガードに設置。TREMOLO(トレモロ)の振幅の深さ(DEPTH)と幅(SPEED)を調整するツマミは、アンプ前面に設置されている。プレイヤー自身がサックスを演奏しながら、これらのツマミを切り替えなければならないのだが、過去のプレイヤーの演奏では、最初にコントローラーのセッティングを決めておいて、要所でNORMALスイッチのON/OFFを切り替えていたに過ぎない。今回の《デモ演奏》ではVaritone本来の機能を最大限に引出すということもあり、1曲中で様々なセッティングを組み合わせている。ムービーでは、田中氏がフレージングを途切れさせることなく、つまみを瞬時に調整しているシーンを確認することが出来る。音の変化とそれらのアクションを確認しながらデモ演奏を見てみると、新たな面白さがある。
それはある日、大久保の路上でTHE中古楽器屋の水本さんにたまたま出会った事がきっかけであった。
「あ、お久しぶりです」「久しぶりですね〜。あ、そうだ田中さん、ちょっと相談というかお願いごとがあるので、、、」と切り出され、所用を済ませた後にあらためて店舗を訪れた。そのときに初めてvaritoneという単語を聞き、「え?」と思い、目の前に現物が運ばれてくると、思わず「おお!!!」と言ってしまった。
ピッカピカのMK6となぜかselmerとロゴのついているアンプ、、、なんだろうこれは?水本さんの丁寧な説明で、エレクトリック時代に対応するために開発されたアナログエフェクトのシステムである事が解り、そしてサックス本体に加えられた「エレキ」なモディフィケーションに眼は釘付けであった。ピエゾマイクの取り付けられたネック、そして配線を通す為に本体を這う「配管」、その脇に申し訳なさそうにmark6の刻印、、、レア中のレアアイテムである!
まずはサックス自体を吹いてみる、、、自他共に認める非セルマー吹きの私であるが、ああmark6だ!しかも新品な、ほぼ使い込まれていない吹き心地がとても印象的だった。
そしてその後、「通電」した試奏に移った訳であるが、これが非常に面白いのである。まずエコーの効き方が、いわゆるその時代のエレキなエコー。そしてオクターバーはある程度息をいれるというか、倍音を多く含んだ音で管体に振動を入れないと効かないのである。トレモロに至っては情け容赦なく人工心臓のように波打ち、全体的な非効率感や取り回しの悪さも相まって、なんとも愛おしいシステムだなあとしみじみ思ったのであった。
実は私は結構エフェクトにハマった時期があり、デジタル/アナログのディレイ、ループ、エンベロープフィルター/オートワウ、ワーミー、オクターバー等々愛用していたのである(今でもたまには使う)。
varitoneは、デジタルの「ガツン」と感度良く反応する、あの感じは全くないのだが、作られた時代の音楽を考えると、かなりヒップな音を目標にしていたのは間違いないだろう。生の反響とは全くちがった音が自分の身体を「通電」して出て行く感覚は、エフェクトが当たり前の時代に産まれた私たちには解らない新鮮さだったであろう事は想像に難く無い。「エレキ」側のスタッフたちはやる気満々だったろうと思うが、サックスを作る職人達は「なんでこんなことするんだ?」と首をかしげ乍らも仕様書通りに配管をくっつけていた様が眼に浮かぶようだ(笑)。
実際にいくつこのシステムが作られたのかは私は知らないが、おそらく市場に沢山流通はしていなかったのではないだろうか。製造コストも高いだろうし、バーカスベリーのピエゾマイクとの競合になるとどうしても不利にならざるを得ず、陰に埋もれてしまったのであろうか。実際の録音はエディハリスや、ソニースティットによるものが残っているすだが(ちなみに私は聴いていない)、今回の音サンプルを録るにあたり、ビバップにただエフェクトをかけたようなもので無い演奏をしてくれというリクエストだけを頂いた(笑)。そしてこのお耳汚しのサンプル音源が出来上がった訳であるが、このサンプル音源を録るにあたって十分にこのシステムを熟知するだけの時間もなく、その時に思いついた事をなるべくその場でやるようにして録っていただいたものである。今後、たとえばライブで使わせて頂いたりして、バージョン2のサンプルを録らせていただければまた面白いかなとも思っている。
余談であるが、後日知り合いのリペアマンの工房で、varitoneシステムの一部だったアルトが、配線用の配管等を全部取り除かれた「ただのアルトサックス」の状態になっている現物を見た。なんとも、落ち武者を見るようで一抹の寂しさが心をふっとよぎったのであった。
田中邦和プロフィール
1966年生まれ。大学時代からジャズ、ポップスに傾倒し、以来サックスを独学にて修める。甘い音色と「幅広い音楽を俯瞰する」と評されるスタイルで、あらゆるサウンドに溶け込みつつオリジナルな存在感を醸し出す。ジャズをはじめとするソロ活動の他、「sembello(スカパラ沖との双頭バンド」「東京中低域(バリトンサックス11人のアンサンブル)」「blackvelvets(ムード音楽の現代における再解釈)」「田中邦和jazz trio」などに参加。
レコーディング、セッション等多数。New York、London、Montereyほか内外のフェスティバルにも出演。さらに活動のフィールドを広げている。
リハーサル
selmer Varitoneシステムと初対面した時のことを思い出す。事前には、デットストックの新品同様品!! 14万番台アメセルテナーとだけ聞いていた。胸が高鳴る。ケースを開けた瞬間、「おい誰だよ!エフェクターいっしょに突っ込んだままじゃん、新品同様なんだから、もう信じられないなあ、ったく。アレ?くっついてる…」
正直なところ、私も落胆派だった。見れば見るほど、落胆の溜め息をついていた。ネックもボディもほぼ無傷、無事故。まさにデッドストック状態のマークシックス。なのに…。
なんとか気を取り直して、この製品について調べてみた。60年代当時に同機材を使用したプレイヤーにエディ・ハリスの名前がある。ハリスの演奏を聴いてみた。二十数年ぶりだった。学生時代に同じレコードを聴いた時の記憶が甦る。ああ、やっぱり。徹頭徹尾ゆるいファンキープレイを繰り広げるなか、蚊細いオクターブの重なりが聴こえる。当時も、なんだかショボい音処理が施されているなと感じていたが、とうてい、これが電気サックスを使ったプレイであるとは思わなかった。これがVaritoneの音か。ますます落胆した。
形勢逆転のきっかけは、瀕死状態のシステムの一部が復旧した時だった。ネックのピックアップが生き返ったので、とりあえず音出しをしてみた。不完全ではあるが粘りのあるオクターバーのパワーにたじろぐ。レコードで聴いた、あの蚊細いオクターブとは別次元だった。これは面白くなりそうだと確信したのである。
最後に、この厄介な楽器の調整に尽力してくれた富田、佐藤両氏に感謝します。
企画担当:水本
※最後に、デモ演奏収録直前のリハーサルテイクをお楽しみください。リハーサルとはいえ、聴き応え十分の演奏です!