アドバンスギターズ星野のフォーク紀行

〜フォークソングとアコースティックギターたち〜

第5回 高田渡

こんにちは。
東京・新宿区(新大久保)にあるAdvance Guitarsの星野と申します。

本連載は、1960年代後半から70年代にかけて日本中を熱狂させた「フォークソング」、そして80年代のニューミュージックへと至るまでの軌跡の中で、あの名曲たちが「果たして誰の?、どんなアコースティックギターで奏でられていたのか?」という純粋な疑問から『アドバンスギターズ星野のフォーク紀行 〜フォークソングとアコースティックギターたち〜』にてフォークソングのアーティストや使用ギターにフォーカスを当てて紹介します。

名曲の裏側で、どんなギターが、どんな意図で選ばれ、どんな音色で鳴っていたのか。
私は、プロの楽器店員としてのマニアックな視点と、純粋な音楽ファンとしての探求心を執筆する中で知識を深めていきます。

 

第5回:「高田渡」激動の時代に響く唯一無二の歌、楽器と時代背景を紐解く。

1960年代後半から70年代の激動の時代。社会が熱を帯びる中、静かに、そして深く人間の営みを歌い上げたフォークシンガーがいました。高田渡氏です。
アメリカン・フォークの源流を吸収し、日本の現代詩を独自の歌へと昇華させた彼の傍らには、いつもアコースティックギターがありました。
本コラムでは、高田渡という特異な才能がどのような時代の中で育まれたのか、そして彼が愛した楽器たちがあの「唯一無二の響き」をどう生み出していったのかを紐解きます。

若者が反戦歌や学生運動といったフォークゲリラが盛んな1969年に高田渡氏は「高田渡/五つの赤い風船」でレコードデビューします。
デビューのきっかけとなったのは1968年、京都府は大山崎の宝積寺で行われた「第3回 関西フォークキャンプ」です。
フォーク団体「アゴラ」のメンバーの1人であった高田渡氏が出演した際に、当時の時代背景でもあったプロテストソングとして「自衛隊に入ろう」を歌唱。
この曲が多くの観客に衝撃を与えたことからデビューのきっかけとなったと言われています。
実は「自衛隊に入ろう」という曲は、高田氏が自衛隊の勧誘文句をそのまま並べたほめ殺し(皮肉)が込められた手法を用いた曲でした。
当時、街頭にて自衛隊の勧誘に力を入れていた防衛庁が自衛隊のPRソングとして高田氏にオファーをかけたという逸話があります。
後にこの曲から影響を受け、実際に自衛隊に入隊する人が増え、高田氏は「自衛隊に入ろう」を封印した時期があったそうです。

「自衛隊に入ろう」という曲の元ネタは、アメリカのフォーク歌手ピート・シーガーの反戦歌「Andorra」が原曲のようです。
というのも、高田氏は10代の頃よりピート・シーガーを尊敬しており、18歳の時に中学の英語教師に英文を代筆してもらい、日本語で書かれた手紙と写真を同封して、ピート・シーガーに送ったというエピソードが残っています。
また1967年10月、ピート氏が2度目の来日時に高田氏とピート氏がホテルのロビーで顔を合わせるという奇跡が起きました。

拠点を東京から京都へ

1969年、高田氏は京都に活動拠点を移します。
当時、京都や大阪では「関西フォーク」と呼ばれる、より生活に根ざした個性的で自由な音楽運動が展開されていました。
高田氏は「京都フォーク・キャンプ」などに参加する中で、京都の音楽仲間との交流を深めました。
当時の京都には、商業主義とは一線を画した地道で濃密な音楽的コミューンが存在しており、その居心地の良さに惹かれていったのではないかと想像します。

青年・高田渡の素顔が詰まった私家版詩集『個人的理由』

『個人的理由』が世に出たのは1969年。
前年の「第3回関西フォークキャンプ」で『自衛隊に入ろう』を歌い、一躍注目を集めた彼が、レコードデビューを果たし京都・山科に居を構えたばかりの頃でした。
この詩集には、彼が18歳から20歳という多感な時期に書きためた詩がまとめられています。
出版社を通すことなく、限定わずか300部という形でひっそりと自費出版され、シンプルな表紙からは、手作りの温もりと、若き日の彼の息遣いがそのまま伝わってくるようです。

京都の情景を刻んだ名曲『コーヒーブルース』

京都での生活は、彼の楽曲に確かな足跡を残しています。
1971年の歴史的名盤『ごあいさつ』に収録された『コーヒーブルース』は、京都の老舗喫茶店「イノダコーヒ」を歌った名曲です。
「京都へ行ったら 三条へゆき イノダっていう コーヒー屋へね」プロテストソングの旗手として見られがちだった彼ですが、日常の何気ない情景や、街の匂い、コーヒーの味わいを軽やかなスリーフィンガーのギターに乗せて歌い上げる姿には、すでに彼特有の「飄々とした吟遊詩人」のスタイルが確立されていました。

アルバム『ごあいさつ』に収録されている「失業手当」「自転車にのって」「銭がなけりゃ」「しらみの旅」にて、はっぴいえんどがバックバンドを務めるといった豪華な共演が聴けます!

イノダコーヒは京都市中京区堺町通三条にある老舗喫茶店で、高田氏が京都に在住している頃によく通っていたと言われるほど好きな場所であり、歌詞からもそれが伺えます。現在は多くのファンが聖地巡礼地として愛される場所の1つになっています。

1970年に高田氏にとって大きな転機が訪れます。
それは岐阜県恵那郡坂下町(現・中津川市)にて開催された第2回第2回中津川全日本フォークジャンボリーに出演した際、当時、キングレコードのディレクターだった三浦光紀氏にアルバム制作の話を持ちかけられることになります。

京都から再び東京へ〜武蔵野市との深い関わり

1971年、高田氏は京都から再び東京都(武蔵野市)に拠点を移します。

1969年に入ると、新宿西口広場で盛んだった「フォークゲリラ」の規制が激しくなり、フォークシンガーたちが吉祥寺(武蔵野市)に拠点を移し、フォークソングをはじめとするカルチャーが盛んになりはじめました。

吉祥寺で欠かせないのが「武蔵野火薬庫 ぐゎらん堂」ではないでしょうか。1970年頃に友部正人氏や遠藤賢司氏をはじめとするアーティストが熱いライブを行っていた場所であり、高田氏もその1人としてライブやアーティストとの交流が広がっていきました。1971年にぐゎらん堂に出演していたシバ氏、山本コウタロー氏、若林純夫氏、村瀬雅美氏らと武蔵野タンポポ団を結成。

同年、高田氏はURCからキングレコード(ベルウッド・レコード)に移籍します。キングレコード(ベルウッド・レコード)に移籍後に発売されたレコードこそ1971年6月にリリースされた『ごあいさつ』でした。

1971年8月、第3回中津川フォークジャンボリーにて武蔵野タンポポ団として出演。彼らが演奏したジャグバンド・スタイルは 、眉間にしわを寄せて社会を斬る演奏ではなく、ユーモアを交えながら日々の生活や市井の人々を歌い上げるスタイルで当時の若者たちに新しい価値観を突きつけていきました。これは、単なる音楽の演奏を超えて、「これからどう生きていくか」というひとつの宣言でもありました。京都を中心とした関西フォークの「激動」の時代が終わりを告げ、若者たちの関心が社会という大きな主語から、自分の「生活」へと向かっていく。その橋渡しをしたのが、彼らの演奏だったのではないかと想像しました。翌年の1972年には武蔵野タンポポ団で『武蔵野タンポポ団の伝説』をリリースします。

京都の情景を刻んだ名曲『コーヒーブルース』

京都での生活は、彼の楽曲に確かな足跡を残しています。

1971年の歴史的名盤『ごあいさつ』に収録された『コーヒーブルース』は、京都の老舗喫茶店「イノダコーヒ」を歌った名曲です。 「京都へ行ったら 三条へゆき イノダっていう コーヒー屋へね」プロテストソングの旗手として見られがちだった彼ですが、日常の何気ない情景や、街の匂い、コーヒーの味わいを軽やかなスリーフィンガーのギターに乗せて歌い上げる姿には、すでに彼特有の「飄々とした吟遊詩人」のスタイルが確立されていました。

アルバム『ごあいさつ』に収録されている「失業手当」「自転車にのって」「銭がなけりゃ」「しらみの旅」にて、はっぴいえんどがバックバンドを務めるといった豪華な共演が聴けます!

チューハイグラスに映る昭和〜高田渡といせやが交差した、サブカルチャーの聖地〜

そして、高田氏の活動の源として重要な存在として挙げられるのが、吉祥寺駅南口に店を構える老舗の焼き鳥店「いせや」でしょう。いせやといえば、店先でもうもうと立ち込める焼き鳥の煙と、赤提灯、そして昼間から酒を酌み交わす人々の活気が代名詞です。

高田氏は、まだ日の高い午後からふらりと店に現れ、定位置に座ってシューマイや焼き鳥をつまみに焼酎を傾けるのが日常でした。

誰に媚びることもなく、かといって威張ることもない。ごく自然にジョッキを傾けるその姿は、いせやの煙と喧騒に完全に溶け込んでおり、「いせやに行けば渡さんに会える」「いせやで飲む渡さんの姿は、吉祥寺の風景の一部」とまで言われるようになりました。

酔いをまとってふらりとライブハウスのステージへ向かい、あの魔法のようなフィンガーピッキングで観客を魅了する姿こそが、高田渡という吟遊詩人のリアリティではないかと感じました。

 

晩年になるにつれ、高田渡のその独特の存在感は音楽の世界にとどまらず、映画界からも愛されるようになりました。

俳優・音楽家としての佇まいや哀愁を帯びた歌声は、スクリーンの中でも唯一無二の光を放ちました。小林政広監督との親交が深く、『とどかずの町で Northern Song(1997年)』や『フリック(2004年)』などの作品に出演しています。また、1991年の映画『吉祥寺夢影(大西功一監督)』では主人公の父親役を演じました。演技をしているというよりも「高田渡がそこにいる」という自然体な姿が魅力でした。

市川準監督の映画『東京夜曲(1997年)』では、彼の楽曲『さびしいといま』が主題歌として起用され、彼の枯れた味わい深い歌声は、日本映画の情感豊かなシーンに絶妙にマッチし、作品に深い余韻を与えています。

『タカダワタル的(2004年)』では高田氏の日常とライブに密着した代表的な長編ドキュメンタリーが公開。吉祥寺の「いせや」で昼間からお酒を飲み、飾らない笑顔を見せる姿や、ユーモアに満ちたライブパフォーマンスが克明に記録されています。カメラに密着されようが、彼がいせやで焼酎を飲むペースも、ギターを爪弾く姿も一切変わりませんでした。「演じる」ことのないその徹底した自然体こそが、映画監督たちを惹きつけてやまなかった最大の理由と言えるのではないでしょうか。

言葉と弦が呼吸を合わせる〜吟遊詩人・高田渡が愛した楽器の世界〜

現代詩にメロディを乗せ、まるで語りかけるように歌い上げた高田氏。彼のポような独自の歌唱は、手にした楽器との絶妙な「間」と「響き合い」によって完成されていました。彼の手にかかると、ギターをはじめとする楽器たちは、まるで長年連れ添った相棒のように声に寄り添い、空間を温かく満たしていきます。高田渡の紡ぐ言葉といかにして共鳴していたのか、彼が愛用した楽器たちの魅力から紐解きます。

1974年製 YAMAHA W.TAKADA CUSTOM MODEL

YAMAHAのカスタムギターの第一人者「テリー中本氏」がヤマハ在籍時、11本目に手がけた1本。
製作当時は品番はなかったそうですが、現モデルとして「LL-55D」をベースに製作したとテリー中本氏は語っています。
高田氏の希望により、14フレット以降はフレットを打ち込まず、派手な装飾は加えずシンプルなルックスで製作されました。
指板エンドには「W.TAKADA」の文字がデザインされたインレイが目を惹きますね。
スプルースとローズウッドを組み合わせた本機はライブはもちろん、テレビ出演時でも愛用するほど使用率の高い1本です。
現在は高田蓮氏により現在もなお、その音色が受け継がれています。

1972年製 Martin D-45

※写真はイメージです。(1973年製 Martin D-45)

トップにジャーマン・スプルース、サイド/バックに柾目取のインディアン・ローズウッドを採用しているのがこの時期の特徴です。ペグにはGROVER 102Gが採用されるのに対し、高田氏のMarton D-45にはWAVERLYが採用されています。

高田氏が所有していたとされるMartin D-45は特別なものだと語られています。
その理由は、元の所有者が高田氏の大親友である浜田省吾氏の形見だったからです。それまでのシンプルなギターではなく、Martinの最高峰モデルとして華やかな装飾を纏ったギターを使用した背景には、盟友の浜田氏の魂や思い出が詰まったギターを自身の曲で演奏することで、その想いを受け継いでいたのではないかと想像しました。

このギターを持った姿は書籍『高田渡に会いに行く』で見ることができます。

S.Yairi YF-200

1970年頃に矢入貞雄氏が手がけたとされ、Martin 0-16NYを思わせるニューヨーカースタイルの1本。
前述した2本と異なり、小ぶりなサイズとなっているので取り回しの良さから使用されていたのではないかと推測します。
1988年のテレビ朝日の深夜番組「こだわりTV PRE★STAGE」に出演した際に、『生活の柄』を本機を使用して演奏されている映像が残っていました。
フィンガーピッキングと高田氏の哀愁ある歌声を聴くことができます。

高田渡氏を知って...

1960年代後半1970年にかけて活躍していたアーティストをこれまで学んできて、高田氏の存在は知っていましたが、1970年ごろよりお酒を飲むようになってからはライブ前にお酒を飲み、ステージ上で寝てしまったり、あるコンサートでは椅子から転げ落ちた際は楽器様にセッティングされたマイクで歌ったのちに寝てしまったという話を知った際は、岡林信康氏の失踪と並ぶほどにびっくりでした。

1971年リリースの『ごあいさつ』に収録されている「生活の柄」をネーミングにしたお酒が、北方町出身のフォーク歌手 高田渡さん をしのぶ酒として発売されているようですね!(個人的に呑んでみたい!)また、カメラ好きや映画などにも関わっていたのはこのコラムを書いていないと知れない情報でした。

これまで執筆してきたアーティスト同様に、より曲への関心や高田氏の人物に興味が出てきました。もっと曲を聴き込みながら、高田渡という人物を深く知っていきたいと感じました。

今後も取り扱って欲しいミュージシャンやフォークソングにまつわるお話など、皆様からのリクエストをお待ちしております。 私にとっては「当時実際に目にした」「あのコンサートでこのギターの音を聴いた」というような生のお話はとても貴重で、何よりの教科書です。 もしよろしければ、ぜひアドバンスギターズ 星野までご連絡ください。

✉️ aco@tcgakki.com

それでは、次回の『星野のフォーク紀行』でまたお会いしましょう!

この記事を書いた人:星野(アドバンスギターズ)

2025年1月TC楽器入社。主にエレキギターでインストゥルメンタルを中心に演奏しながら、ギターのニュアンスや表現力を追求しています。
好きなアーティストはB'z、Gary Moore、Allen Hindsなど。
趣味はコピックを使用してイラストを描くことです。

保有資格・実績: 楽器販売員歴10年、楽器鑑定士歴2年

▶︎執筆記事はこちら

この記事が参考になりましたら応援よろしくお願いします!