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YAMAHA LEGEND HISTORY
アコースティックギター専門店の店員として、日々歴史的な一本の存在を身近に感じている。
それがMartinだったりGibsonだったり、先駆者に目が向きがちである。
それらの技術やデザインは、アコースティックギターの世界において時代が流れても、特に色濃く残る傾向だと感じる。
しかし、保守的なアコースティックの世界で、1966年には“Ovation“の登場、1970年代後半から1980年代にかけて“Taylor”が新たなスタンダードとして地位を確立し、特に1980年代以降は少しずつではあるが、“コピー”から“リスペクト”へと変化が見られたようだ。
これは世界全体の傾向であり、我々日本人として、若輩者の立場からしても1965年から果敢に保守からの脱却にチャレンジしたブランドに目を向けなければならない。
それが世界へ誇る日本の“YAMAHA”である。
1965年、YAMAHAはボディシェイプはクラシックギターながら、スチール弦で演奏される"ダイナミックギター"を提供しており、その技術とノウハウをもとに、フォークギターの開発に着手した。
当時、日本国内では、サーフミュージックの王"The Ventures"の大流行もあり"1億総エレキ化"と言う言葉まで出るほどエレキギターのニーズが高まった。
対してアメリカ市場は、フォークソング全盛期を迎えており手頃な価格で購入できる日本製ギターのニーズが非常に高く、YAMAHAもそれに漏れず輸出用にギターの開発を開始した背景がある。
翌年の1966年10月、YAMAHAは初めての国産オリジナルデザインのフォークギター"FG-150"と"FG-180"を発売。
ここから伝説ともなる"FGシリーズ"がスタートし、異なるサイズのモデルで製造を開始
それぞれのモデルは、スプルース単板のトップ材、マホガニー合板のサイド、マホガニー単板のバックを持ち、特に634mmのスケール長は日本人の体格に合わせた設計であることが窺える。
この最初期1966-1967年は"ライトグリーンラベル"と呼ばれるラベルが付けられ、希少さ故に価値が高い。
1967年からはトップとバックも合板になるが、ここには鳴りに対して非常に工夫が凝らされており、合板でありながら非常に薄く材を構成している。
スプルースの木目を前面縦目、中層は横目、下層は縦目の3プライで強度を確保しつつ、最大限材が振動するような設計で皆さんが想像するようなFGの爆音が出力されているのである。
余談ではあるが、強度面に関しては入荷したFGを見るとトップ浮きが顕著な個体が割と多く少し懐疑的ではある。
ちなみに、FG-150 / FG-180共にモデル名が定価を表しており、それぞれ15,000円と18,000円
今の感覚で言えば激安ではあるが、発売当初の公務員の高卒初任給は16,000円ほど、大体2023年現在18~20万円の間であることを考えるとエントリー機としてはかなり高額である。
1968年には"帰ってきたヨッパライ"のミリオンヒットや海外から"SOUND OF SILENCE"などの名曲が輸入され日本国内でのフォークムーブメントが本格化、YAMAHAはFG-150の廉価版"FG-110"や12弦仕様の"FG-230"と言ったラインナップを発売。
その後もFG-180の廉価版に当たる"FG-140"、ハカランダを使用した"FG-500"などさまざまなモデルが登場し、1969年には"FGシリーズ"のセールスが飛躍的に伸びたこともあり、YAMAHAはソリッド・ギターの生産を一時終了した。
そして、1971年にはYAMAHAはアコースティックギターの歴史を語る上で欠かせないデザイナーを招聘し、新たな時代へと突入した。
さて、ここからは実際にアドバンスギターズにストックしている個体を見ながらヒストリーを追っていこう。
なお、サウンドインプレッションはあくまで"ストックしている個体"の印象なので、全てに適応されるわけではない事に留意されたい。
1967年製 FG-180 LightGreen Label
まずは、伝説の始まりの一本をご紹介させて頂く。
FG-180の生産時期は1966年から1972年の間、フォーク世代の方の話を聞くとFG-180と言えば"赤ラベル"と認知されることも少なくない。
この個体に関しては1966~1967の僅か1年ちょっとしか採用されていない"ライトグリーンラベル"の一本
1967年製造の一本にあたるので、トップ材とバック材は共に合板へマイナーチェンジされている。
私のような若輩者の認知でいうとやはり"ゆず"の岩沢厚治さんの使用が印象としては強い。
残念ながら、映像で使用しているのを確認はできなかったが、本人が語る"バカ鳴り"と言う評価はやはりFG-180において結構な人が感じるものである。
さてこの個体のサウンドはどうだろうか。
買取を担当させて頂いたのも私で、前オーナー様が使用していたセッティングで第一声を聞いている。
開放弦を含むEmで一発、"超バカ鳴り"だ。
上品さはない、だが今時の単板モデルでも味わえないような音圧と開放感が存在している。
強弱をつけようにも他のギターで上手くいっていた奏法がこの個体には通用しないのでダイナミクスを表現するのは、中々に骨が折れそうである。
しかしながら、強くコードストロークをした時のボディ鳴りと体感の気持ちよさは他に変え難い。
暴れん坊を制御する楽しみと放任でギターに自分が合わせていく楽しみ、その両方を味わえ
弾いていてつい笑みを溢し、いつの間にか弾き始めてから1時間以上が経過する。そんな魅力が詰まっている。
続いての紹介に移る前に、第二章の最後で"YAMAHAは1971年に一人のデザイナーを迎え新時代へ"と記述した。
ここから紹介する5本の個体は"その一人"が居なければ生まれていないモデルであり、日本のフォーク史を語る上で必要不可欠な"一人"である。
その人物に関しての紹介を次の章で行う。
テリー中本(中本輝美)
日本のアコースティックギター文化が発展したのは間違いなくこの"一人"の存在のお陰だろう。
YAMAHA時代においてはAPXやCWE、Lシリーズなどをデザイン、開発。
彼の創造するギターはいつの時代でも、"新しい物"のようなワクワク感と優れた"芸術性"、そして道具としての"完成度"その三要素で構成されている。
YAMAHA時代に彼が関わった"作品"には彼の直筆サインがラベルに書かれ、そのサインがあることだけでもギターに説得力を与えている。
YAMAHAから独立後は自身のブランド"Terry’s Terry"を立ち上げ
(敬称略)石川鷹彦/井上陽水/角松敏生/斉藤和義/坂崎幸之助/桜井賢/さだまさし/長渕剛/松山千春/南こうせつ/伊勢正三/吉田拓郎など、錚々たる人物が彼のギターを使い日本の音楽に彩りを加えてきた。
テリー中本氏のギターにはエンドースの概念はなく、そしてメディア露出も殆どない、それでも彼のギターの品質と魅力に惹かれ、多くのミュージシャンが彼の楽器を手にしている。
私もその"テリー中本"ワールドに魅了され、陶酔しTJ-100をオーダーするほどだ。
次の章ではそんな"テリー中本"ワールドをぜひご覧いただきたいと思う。
1974年製 FG-1500
さて、前述の通り、1971年新時代へと突入した"YAMAHA"
FGの人気が不動になったその年、"高級ハンドメイドFG"のラインナップを発表
FG-1500/FG-2000/FG-2500(12弦) の3機種が世に放たれ、結果的にYAMAHA Acousticを全世界へ知らしめる結果となった。
特に、このFG-1500に関しては後述のエピソードもあり特別な意味を有するモデルになっている。
YAMAHAオリジナルのフォークサイズの小振りなボディサイズに若干薄型の厚みを持つFG-1500、ボディ幅は約380mm,ボディ厚は105mm程とMartinの000サイズに近い印象。
三機種の共通スペックとしては、トップが高級蝦夷松/サイドがハカランダ/バックがハカランダとフレイムメイプルの3Pいずれも単板、そしてロゼッタとトリムには"象嵌"という異なる木材を組み合わせて模様を形成する非常に高度な技術が詰め込まれている。そしてサウンドホール内には前章で記述した"テリー中本"の手書きサインが記されている。
さて、なぜこのFG-1500は特別な意味を持つのだろうか。まず、1971年から1975年までの短い製造期間中、高級ハンドメイドFGシリーズはカタログには存在していたが、実際の店舗で新品を見ることはほぼ不可能であった。と聞く。
"YAMAHAがすごいギターを作った!でも音はわからない…"といった状態である。そんな幻的な存在であったこのシリーズ、あるアーティストの使用によってそのサウンドと実機の存在が世に知れ渡ることとなる。
1980年代に入り、日本国内で海外アーティストの情報が容易に手に入るようになったころ、アメリカの音楽史に名を刻む"ボブ・ディラン"がYAMAHAのギターをライブで使用したという情報が世界的に広まった。
1986年のオーストラリア公演で、ボブ・ディランはサポートの"トム・ペティ"と共にFG-1500を演奏している映像が確認できる。
この出来事をきっかけに、YAMAHA Acousticは国内外を問わず、一般にもMartinやGibsonに次ぐオリジナリティを持つブランドとして新たな評価を受けるに至った。
YAMAHA自身も"特別な意味"を実感していたようで、1996年には30本限定で"FG-1500"を復刻し話題となった。
さて、1974年のこの個体のサウンドはどうだろうか。
まずはFG-180の時と同じく、開放弦を多く含むEmで一発。正直なところ、物足りなさを感じる。
開放感と音圧の面でFG-180がとんでもなく抜きん出ていたため、と言うのはあるだろう。そのまま、5分...10分と弾き続けるとこのモデル、個体についてわかってきたことがある。
これは妄想、推測の域を出ないがFGでありFGでない、そんな意味を含んだモデルなのではないだろうか?
レンジ感でいうと、他のFGがロー/ハイが爆発的なのに対し、"1500"に関しては割りかしミッドの成分が多い
これにより、何が優れているかというと、ソロギター、メロディの役割を担うのに適しているのだ。しっかりと芯があり、ハカランダによる色気もサウンドに反映されているので、これも中々他に変え難い。他の個体がどんな特性を持っているのか、非常に気になる一本だ。
1974年製 FG-2000
さぁ、続いても1974年製造の一本だ。
実は、高級ハンドメイドFGにも最初期1971年とその後では若干の仕様変更がある。1971年の仕様は赤ラベルFGと同様に末広がりなヘッド形状、ブリッジも同様に赤ラベルと同様の形状であった。
当店ストックのこの個体は後年の仕様であり、ヘッド形状がより細くなり、ブリッジにはコンターが施されている。ボディ幅は大凡416mm、ボディ厚127mmのオリジナルジャンボボディだ。
主な使用アーティストと言えば"ジェームス・テイラー"が挙げられるだろう。1974年に発売された"Walking Man"というアルバムにてそのサウンドを聴くことができる。
さぁこの個体のサウンドはどうだろう。FG-180よりも一回り大きいボディサイズは、抱えた際に期待感と歴史的な重みを感じさせてくれる。
まずは同様にEmを一発。
「あぁFGだ」
まず第一インプレッションは上述の通りだ。しかし、暴れん坊という印象はない。開放感と音圧を持ちながら、芳醇な低域とサウンドの纏まりを感じる。
同様に、5分から10分ほど弾いていくと、FG-1500とはまったく異なるキャラクターを感じる。もちろん、ボディ形状が異なるため当然と言えば当然だが、このように大きなボディサイズでありながら、サウンドホール内での音の増幅による混雑感がない点も素晴らしい。
材の中では硬めのハカランダのお陰かもしれないが、余分な部分はスポイルして美味しい部分だけを出力するのは材だけでどうなるものでもなく、そもそものギターとしての設計が優れているのであろう。もしもマイクを使わずに弾き語りを行いたい場合は、発声にはコツが必要だ。気分が乗って歌を唄いながら弾いてみたが、どう頑張ってもギターに負けてしまう。その感覚は、ZEEPを運転するようなものに近いのかもしれない。
1971年製 FG-2500
高級ハンドメイドFG最後のラインナップの紹介だ。
こちらはボディサイズが2000と同じくオリジナルのジャンボボディ
FG-2000の12弦バージョンとしてラインナップされた。しかしながら、このFG-2500は、高級ハンドメイドFGの中でも特異な存在だ。
当時のフォーク世代の方々に尋ねると、「そんなモデルがあったかな?カタログにも載っていた?」というような反応を得る。もちろん12弦ギターは6弦に比べれば、ニーズは少なく生産本数自体も少なかったであろう。
特異な点はスペックに関してもあり、それまでのYAMAHAの12弦ラインナップを見ると全てソリッドヘッドであるが、FG-2500はスロテッドヘッドを採用している。
そんな少し特異な点があるFG-2500のサウンドを聴いていこう。
12弦ギター全般に言えることだが、チューニングが非常に骨の折れる作業である。6弦ギターであれば、緩めた状態から演奏可能な状態にするのに大凡3周程チューニングを合わせていけばOKなのだが、12弦は5~6周必要だ。しかも6弦の倍ペグがある上にペグ同士が近いため、回しづらく一周の時間も長い。
ようやく大苦戦のチューニングが終わり、同様にEmを一発。
この評価はコラムを執筆しているからとか、売却意図があるからではなく、真摯な感想だ。
""""""今まで弾いてきた12弦ギターの中で一番素晴らしい""""""
開放感と、その内部に感じられる各弦の芯。何より特筆すべきなのは、12弦ギターは6弦よりもネック幅が広く、通常は6弦ギターのようなサウンドは期待できない筈なのだが、この個体は6弦と同じような鳴り方をし、そこに天然コーラスが加わっているのである。
チューニングの苦労など、このサウンドを得られるのであれば、ちっぽけな悩みだ。正直なところ、6弦モデルと比べれば、市場での価値は低い。しかし、価格をサウンドで評価しても良いのであれば、100万円出しても高価とは言えない。そのような陶酔を感じさせてくれる一本だ。
ここから、更にテリー中本ワールドが色濃くなっていく。
1974年、YAMAHAは高級志向を強めた"Lシリーズ"のラインナップを発表した。
第一弾として発表されたのは"L-31"
FG-2000をラグジュアリーに昇華させたモデルで、これが1975年発表のCustomシリーズへと繋がっている。
シリーズ名のLは"Luxury(高級)"を表し、当時ラインナップされていたFG/N/Lの3シリーズの中でも最もグレードの高いモデルが連なる。
さて、Lシリーズの1975年からラインナップされた4モデルは通称"四天王"という仰々しい称号がついている。その4モデルの見た目はどれも、特徴的かつデザイン性に目を惹かれる。
高級ハンドメイドFGと同様に、実店舗で実物を見ることは殆ど難しく、若年層はカタログを見ながら「どんな音がするんだろう。どんなカスタムをオーダーしようかな。」と想像を膨らませていたであろう。
その四天王の中から、奇跡的に2モデル入手することが出来たので、この機会に紹介させていただきたい。
1977年製 L-52 Custom
GibsonのEverly Brothersを想起させる真っ黒のジャンボボディ。
ボディ幅は約435mm、ボディ厚は120mm弱で、FG-2000よりも広いボディ幅を持つ。
白いピックガードは、よく見ると左右非対称のサイズであり、ユニークなデザインだ。
ポールサイモンとジョンレノンの所有機は、L-52の後継機であるCJ-52をベースにカスタムオーダーされており、両者ともにサウンドに惚れ込んだようだ。
個人的には四天王の中ではこのL-52のルックスは趣向にドンピシャだ。
そんなレジェンド二人に気に入られたこのモデル、早速サウンドを聴いてみよう。
同様にEmを一発
面白い。メイプル材特有の「カリン」としたクリスピーな響きがありながら、しっかりとYAMAHAの胴鳴りも感じる。特に、アップストロークで1,2弦を強く弾いたときに、その特徴が顕著に現れ、音も大きく響く。
一番ユニークだと思ったポイントは3弦7フレット以降を単音弾きした時に、アーチトップのようなニュアンスを得られるところだ。
フォークソング向けというよりは、どちらかと言うと4ビートを刻むようなジャズやブルースに適しているのではないだろうか。
見た目とのギャップも含めて私の大好きなモデルだ。
1977年製 L-53 Custom
一目見てド派手である。
ロゼッタとトリムのアバロン象嵌は勿論だが、まずヘッドに目がいくだろう。突板はアバロンとハカランダの3Pで構成されているのだが、割れやすいアバロン材をペグブッシュ装着の左右に使っているのにも驚きで、発想力と技術にただただ感心してしまう。
このL-53は初期物と後期物で木材スペックに違いがあり、バックの3Pは初期がハカランダ/エボニー、後期はハカランダ3Pへと変更されている。ボディ幅は約415mm、ボディ厚は約120mmで、Lシリーズの中では最もドレッドノートに近いボディシェイプだ。
四天王の中では最も人気のあるモデルで、アーティストの所有機も多くがこのL-53をベースにオーダーされた。
2012年には20本限定で復刻、価格は2,000,000円ほどだったが即完売。この背景から見ても、このモデルに対して強い憧れを持つ方が多いことがわかる。
音を奏でる前に、外見からサウンドを想像してみよう。
手に持つとしっかりとした重さがあり、計測器で計ると約2.55kg指板にもアバロンで彩られたインレイが入っており、ボディ鳴りの少ない、シャラーンとした音が出そうだ。
お馴染みのEmで一発
"音でっか!!!"
稚拙な表現だが、これが最初の感想だ。しかし、シャリシャリ/キンキンはしていない。
FG-2000にキラリとした高音域が足され、それでいてハカランダらしい嫌味のない低音域がしっかり感じられる。
全く一緒とは言わないが、1968~1969年の復刻D-45のニュアンスに近いものを感じた。
最大限にピッキングを強くしてしまうと、高音域がコンプレッションされたような音になるが、アルペジオ演奏では非常にダイナミクスをつけやすく、バラードやフォークソングに豊かな表現をもたらしてくれるだろう。どうして最も人気があるのか、サウンドの面でも納得させてくれる一本だった。
1985年より、Lシリーズはボディサイズに応じた型番で販売されるようになった。伝統を重んじながらも、Lブロックという新たなネックジョイント方式を開発するなど、サウンドの質の向上を目指す動きが見受けられる。テリー中本氏が1988年にYAMAHAを離れ、1990年にTerry’s Terryを設立したことを考慮すると、彼がYAMAHAに残した最終のラインナップと言えるだろう。
1987 LS-50 Custom
そんなLシリーズの中からFG-1500に近いオリジナルシェイプの少し小振りなLS。
他のLL/LD/LAと比較して、市場に流通している数が圧倒的に少ないため、めったに出会うことができない。ロゼッタ、パーフリング、ヘッドストック、指板に至るまで、非常に複雑かつ美しい造形美を楽しむことができる。Terry’s Terryの通常ラインナップである“TJ“とシェイプが最も近く、テリー中本の世界観を強く感じさせるモデルではないだろうか。
このモデルは主に90年代に流通していたが、こちらの個体は1987年製である。
もちろん、テリー中本の直筆サインが記されている。
言葉で語るよりも、まずはサウンドを体感してみるべきだ。
サウンドに関しては、1960年代から1980年代前半のYAMAHAのイメージとは異なり、少々驚かれるかもしれない。音量は大きいが、非常に上品にまとまっている。倍音が少ないわけではないものの、L-53のような鋭い印象よりも、チャリンという“鈴鳴り”が特徴的だ。
特にコードを鳴らした時の音の濁りがほとんど感じられず、例えばオープンのGコードを弾いた際に3度の音は5弦と2弦のBがそれにあたり、倍音構成が少しでも崩れるとここが濁りに聞こえやすい。
しかし、このLS-50は、まるで余計なものが一切ないかのように、ストレートな音像を伝えてくれる。
余計なものがないというのは、一部の人には物足りなく感じられるかもしれないが、和音楽器としては非常に高いレベルのサウンドを実現している。
統括
1965年から1970年後半までの"YAHAMA ACOUSTIC"の歴史を実際の個体を見ながら振り返る機会がこうやって設けられたのは、今回非常に有益であったし、元々強いYAMAHAへの愛がより深まった。
思えば2024年にはLシリーズは1974年の誕生から50周年を迎える。
個人的にはL-31の初期仕様をリイシューされようもんならば激アツだ。
唯一惜しむべきは、この当時のワクワク感をライブで体験できなかったことだろうか。
それこそカタログを眺めながらサウンドと実機の様子を妄想していたのと同じように、あくまで妄想の世界で60~70年代に入っていくしかない。
ここでは70年代までの歴史で留めて、またの機会に80年代からの躍進の歴史を振り返りたいと思う。
以上、若輩者の私からリスペクトを込めて。
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