ほぼ未使用の1961年製Fender Stratocasterを発掘!
リアル“Closet Classic”
いつも奇跡がおきる時は突然だ。
楽器屋にいながら楽器が巻き起こす奇跡には何度か遭遇した事はある。
いつまでも売れなかった楽器が、あるミュージシャンが弾いただけで、次の日に売れてしまった等は楽器屋店員のあるあるではないだろうか。
さて、今回紹介する奇跡はある朝のメールから始まった。
「私はあるギターとアンプを所有している、買ってくれる楽器店を探している」
アメリカからのメールだった。
経験的に海外の怪しいセールスメールに反応しても、お金だけ払って現物が手に入らないなど騙された経験も多々ある。しかし今回は何となく詳しく話を聞いてみた。
メールをくれたのはアメリカ、テキサス州に住む男性。この楽器はある知人から私が売却を依頼されているので来て欲しいという。
信じるに値するかも解らない案件にも関わらず「これから行くから見せてくれ」と返信してしまった。
アメリカだぞ!正気の沙汰とは思えないが、なぜが引かれる文面と内容。いかん、いつもの即断グセが出てしまった・・
更に相手は現金での買取りを要求。
おいおい、そんな大金をもって「Hello!」なんて言って玄関を開けたら後ろと前から屈強なマッチョに囲まれて身包み剥がされ路肩へポンって捨てられるか、ピストルでバン!なんてことありえるぞ。
ましてやテキサスのちょっとヤバいエリア・・
結局いろいろ考えたが直ぐにアメリカ行きを決め、キャッシュを両手に抱えて現地へ出発した。
空港からレンタカーを借り、現場までの道のりでいろいろ考えていた。「おっ俺は空手の達人だぞ!」とか先に言っておこうかなぁ・・などと。
高速道路を降りて一般道を進み、本当にギターなど存在するかも解らない道程を、不安なのか期待なのかも解らなくなっているドキドキを感じつつ疾走する。
空港を出て1時間程を過ぎた頃、住居の間隔がまばらで道路と住まいの間が柴生で囲まれている長閑な住宅街に入った。青い屋根の見るからに長くそこに住んでいるのがわかるような生活感を感じる住まいの前で車を停めた。
本当に来てしまった・・と興奮と恐怖を覚えつつ、玄関の呼び鈴を押す。しばらくするとドアが開き、屈強な・・いや普通のおじさんが家の中へ招き入れてくれた。「良かったぁここで死ぬことは無さそうだ」。
どうやら本人が一人だけのようだ、正直ホットした瞬間だった。笑えないオチにならなかったことや本当に存在した人物であったことが何よりの安堵感を与えてくれた。
リビングに通されるとリイシューか?と疑うようなピカピカのギターがケースやアンプと共に置いてあった。
「マジか」興奮しながら見定めていると彼が「本当によく来てくれた、実はあの後何件かオファーがあったんだけど君のお店が一番最初に来る、と言ってくれたから頼んだんだ」と微笑んだ。
話を訊くと依頼主はまったくギターに興味がなく、ギターを弾く自分に相談してくれたので自らその家に伺ったという。
階段下の物置の中には服や靴の箱、カバンなどが山積みされており一つ一つ取り除いてやっと辿り着いたときの感動は今でも忘れらないと頷いた。
そこにはブラウンケースに入った”新品”の1961製Fender Stratocasterと”Brownface”のDeluxe Ampが眠っていたのだ。55年以上経っていることを考え、アンプの取っ手が破損するのを恐れて抱えて中から出した。
話によると、その知人が少年の頃に父親が音楽をやって欲しいとの思いから1961年当時、発売されたばかりのエレキギターをアンプと一緒に買ってくれたとのこと。
乗り気でなかった少年はしぶしぶギターを抱え当時近くでギターを教えていた先生に習いに行ったが、少年の興味の矛先はすぐに車に向かってしまい、そのギターはアンプと共に自宅階段下の物置に入れたままだった。
父親との苦い思い出と共にそのギターとアンプは忘れ去られ、半世紀の間一度も物置から出されることなく眠っていた。
80年代に父親は既に他界し高齢の母親の身辺を整理していたとき、昔父親が買ってくれたギターとアンプを偶然見つける、という経緯だった。
取引がひと段落すると、その後は定番のピザとコークで雑談に。
知人の母の話では、父親は音楽を聴くのは好きだったが楽器が買える程裕福ではなかった子供時代を悔い、自分の息子には楽器をやって欲しかったそうだ。
そして選んだ楽器は当時出たばかりで話題を集めていたフェンダーのストラトキャスターとアンプ。地元テキサス州Wacoにある楽器店に注文して購入したものだった。
息子が楽器を全く触らなくなっていたことは本人も知っていたらしいが、身勝手な自分の思いと諦めその後は楽器の話はしなかったらしい。そしてギターとアンプはクローゼットにしまい込まれたまま忘れ去られてしまった。
不思議なことに父親が他界して残してくれたギターが、当時とは比較にならないほど高額な価値を残してくれたわけである。
私たちにとって奇跡と言えば、”こんな楽器に出会えたこと”かも知れない。しかし、本当の奇跡はここから刻まれる歴史では無いかと考えずにはいられない。
アメリカの少年の為に購入された楽器が今、日本にあること。更にその楽器が新品当時のコンディションを保っていること。笑えない”オチ”もつかず無事に日本に楽器を持って帰ってこれたこと。
次のオーナーになる方が「この楽器はね、本当の”クローゼットクラッシック”なんだよ」と、販売時のまま残っているギターの塗装や当時の人々が聞いていたサウンドを60年以上経った現在、リアルに体験できることが奇跡であり、私たちが生き証人となれる幸せを感動と呼ばずにはいられない。
Special Thanks to Scott.