長野県松本市に拠点を置く楽器メーカー、株式会社ディバイザー。
その中核を担うアコースティックギターブランドが Headway だ。
フォークブームが最高潮にあった 1970年代。
その最中の1977 年、名工・百瀬 恭夫を中心に創設された同ブランドは、熟練職人による丁寧な作りと徹底した品質管理によって、多くのギターファンから厚い信頼を得てきた。
創業当初、Headway は順調に生産数を伸ばしていった。
しかし1980 年代に入ると、世界的に音楽のコンピューター化が急速に進み、キーボードや打ち込みサウンドが音楽の主流となる。
日本にもその潮流が押し寄せ、アコースティックギターの需要は次第に縮小していった。
百瀬 恭夫
~名工とHeadwayの軌跡を追う~
まえがき 〜百瀬 恭夫という職人を語り継ぐために〜
追い打ちをかけるように、1983 年には Headway 工場で二度の火災が発生し、多大な損害によって生産を中断せざるを得ない状況に追い込まれた。
それでも、Headway の復活を願う声は途絶えなかった。
長年のファンから寄せられるその待ち続ける熱に応える形で、1999 年、Headway は再び生産を再開する。
ブランドの立ち上げから中断、そして再生に至るまで、その技術の中心にいたのは他でもなく、マスタービルダー・百瀬 恭夫だった。
そして今、Advance Guitars に特別な 2 本が揃っている。
ひとつは、Headway が再び歩み始めた直後に百瀬氏が制作した「再生期の Style 45」。
もうひとつは、晩年の技術を注ぎ込んだ「渾身の Style 45」。
前者には“ファンの声に応え、再びブランドを立て直す”という情熱、後者には“職人として到達した円熟の境地”が息づいているのではないかと推察する。
「これらを、文字として残さずにいられるだろうか。」
2024 年 3 月 19 日、百瀬氏は逝去された。
彼が私たちに残したもの。
その意匠を感じられるギターを前に、手に触れられる立場にある者として、何かを伝え、遺したい。
その思いが、このページを作る原動力となった。
Headway を愛する方へ。
国産ギターを敬愛する方へ。
そして、ひとりの職人の生涯の仕事に敬意を払うすべての方へ。
この文章が、百瀬 恭夫という職人の歩みと、その手が生み出したギターの魅力を、少しでも未来につなぐ一助となれば幸いだ。
百瀬恭夫という職人—信州の名工
百瀬 恭夫は1944年、長野県に生まれた。
中学卒業後、職業訓練学校の木工科へ進学し、1962年に有限会社井田家具へ就職する。
早い段階で「ものづくり」、特に木工の道に進むという明確な意志や情熱があったことが伺える。
これは、後の卓越した技術の礎となったことだろう。
家具職人として2年目を迎えた1964年、百瀬氏は人生を方向づける誘いを受ける。
先輩から声をかけられ、富士弦楽器製造株式会社(現フジゲン)へ転職したのだ。
ここから、百瀬氏のギター職人としてのキャリアが本格的に動き出す。
当時の富士弦楽器は、セミアコを含むエレクトリック・ギターを中心に、クラシックやアコースティックギターも製造していた
約1年の勤務後、技術部のトップである先輩に再び誘われ、富士弦楽器を退社。
1965年、家具時代の縁を頼りに林木工所の一角を借り、バリトン・ウクレレの製造会社を共同で立ち上げる。
だが、業績は芳しくなく約1年で倒産という悔しい結果となった。
そうした中で、林木工所がギター製造に参入するにあたって百瀬氏は技術部のリーダーとして迎えられたのである。
林木工所は当初、富士弦楽器の下請けとしてネックやボディを製作していたが、後に輸出用ブランド「KENT(ケント)」のOEM製造を手がけ、さらには自社ブランドである“MOUNTAIN(マウンテン)”や“PEARL(パール)”へと展開を進めた。
1970年代中期。
東京都・新宿区で楽器卸を営んでいたクロス楽器が、林木工所に自社ブランド「ライダー」のOEM製造を依頼した。
当時クロス楽器の代表だったのが、現ディバイザー会長となる八塚 恵 氏である。
八塚氏は、林木工所で働く百瀬氏の技術力、そして何よりその誠実な人柄に惚れ込んだ。
当時はまだギターの設計・製作方法が確立されておらず、現在から見ると不自然な設計のギターも見受けられた。
しかし、ギターに関する情報や知識が少なく市場は活況を呈しており、手頃な価格のフォークギターであれば何でも売れてしまうような黎明期であった。
その時代背景から、クロス楽器でギターの卸販売を担当していた八塚氏は、委託生産品の品質レベルに限界を感じていた。
彼が求める徹底した品質基準は、委託先にとってあまりにも厳しかったのだ。
結果として、納得のいく製品づくりができない状況が続いていた。
“より良いギターを作るためには、自社工場に百瀬を迎え入れるしかない”
そう確信した八塚氏は、約1ヵ月もの間、彼の引き抜きに奔走する。
東京〜松本間の長距離電話にかかった費用は、なんと月50万円という逸話がある。
それほどまでに、百瀬氏の腕を必要としていたのだ。
そこで、八塚氏は一大決心。
「自社工場を立ち上げ、そこで心ゆくまで理想のギターを追求しよう」と決意する。
そして、その志を共にできる者を探し求めた結果、百瀬 恭夫という人物に白羽の矢が立ったのだった。
そして1977年6月。
八塚氏の熱意と、「良いギターを作りたい」という百瀬氏の想いが一つとなり、ヘッドウェイ株式会社が設立された。
創成期の従業員はわずか5名。そのうち製造に携わったのは3名という小さな船出だった。
ブランド設立当時、八塚氏は「他社がやっていない、独自のことをやりたい」と考えていた。
そのチャレンジ精神に応える形で、百瀬氏は二つの画期的なアイデアを提案する。
それが、ネックジョイントの“アリ溝方式”と、ボディ・ネックを別々に塗装してから接合する“後仕込み”だった。
実は、設立後に最初に着手したのは、ギター制作ではなく、 当時の最高峰モデルの一つであるMartin HD-28 の分解研究。
この作業から、後のHeadwayの象徴ともなる「アリ溝式ネックジョイント」や、ボディとネックを別で塗装し後から組み込む“後仕込み”といった構造思想が生まれた。
単に外側を真似るのではなく、名器がなぜ名器足りえるのか、その構造的な本質を理解しようとする姿勢が伝わってくる。
研究や設備準備に時間を要し、1977年末までに完成したギターはわずか3本。
それが初めて世に出たのが1978年の正月明けで、最初に作られたギターはすぐに売れ、ここから本格的なHeadwayの歴史が始まった。
しかし、5年後の1983年。
Headyway工場は二度の火災により全焼。
制作機械から治具まで全てが灰燼に帰してしまったという。
また、当時すでにアコースティックギターの人気が下火になっていたことも重なり、やむなく製造はエレキギター/ベースへ移行し、それ以降16年間、アコースティックギターの生産は途絶えることとなる。
その間も、Headyway復活を望む声は途絶えることがなかった。
その熱い声に応えるべく、1999年、再びアコースティックギターの生産が始まる。
その復活の中心にも、もちろん彼がいた。
ブランドの立ち上げから、絶望的な中断、そして再生へ。
Headwayの心臓部には、常に“百瀬 恭夫”という職人の存在があった。
真っ直ぐに、音と向き合ってきた。
また、常に現在に満足することなくギター作りを探求し続けてきた。
百瀬 恭夫の生涯の仕事は、今もなお多くの奏者の手の中で息をし続けている。
その偉大な軌跡に、心からの敬意と感謝を捧げたい。
次項で百瀬氏が製作した2本を細かく見ていく。
2000年代初頭 復活を掲げた時代の Style-45
2001年製 / Headway HD-250
Headyway工房が再始動して間もない時期に、百瀬 恭夫氏自らの手で製作された Style-45仕様のドレッドノートである。
長い年月をかけて磨き上げられた技術と、アコースティックギターへの純粋な情熱が、隅々にまで注ぎ込まれた一本だ。
ボディを取り囲むメキシコ貝のインレイは1枚1枚の質感・光の反射・色味を実際に見極め、削り、合わせていった手仕事。
よく見られる白銀に近い輝きとは異なり、本器に用いられた貝は翡翠色の深い光を放つ。
この色味を中心にインレイを選定されていることを考えると、特別な1本、すなわち“世界最高の1本”を本気で製作したのではないかと想像する。
ヘッドには、このモデルから採用された縦ロゴ“Headway”が収まる。
言わずもがな、この縦ロゴはMartin社の高級機の象徴であり、我々ギターファンにとって「特別な一本」であることを視覚的に示すサインでもある。
指板はエボニーに六角形インレイ(ヘキサゴン)。
1939年頃に登場した伝統モチーフであり、Martinの上位モデルを象徴する豪奢な意匠だ。
そこに、黒々としたエボニーの質感が重なり、音色の奥行きを視覚的にも語っているようだ。
さらにブリッジにはロングサドルを採用。
Martin社では1965年までの標準仕様であり、現在はオーセンティック・シリーズなど、ごく限られた上位ラインだけが受け継ぐ仕様である。
こうした外観の特徴だけを拾えば、「1939〜42年のD-45をモチーフにしたのでは?」と考えるのは自然だろう。
しかし、細部を見ていくと復刻や模倣ではなく百瀬氏が“自分の考える究極のStyle-45”を形にした一本であると感じさせる。
次に、内部構造を確認してみる。
トラスロッドは“アルミチャンネルトラスロッド”と呼ばれるHeadway独自の機構が採用されている。
後に、木材の持つ音に限りなく影響の少ない物として“棒鉄芯”と呼ばれるトラスロッドが採用されているが、アルミチャンネルトラスロッドならではのサウンドもあったと私は感じている。
また、ボディ内部に貼られている割れ止めの数や、Xブレーシングの交差の位置など当店 在庫の1980~1990年代のMartinのD-45と比較して異なっている。
こうして細部を見ていくと、復刻や模倣ではなく百瀬氏が“自分の考える究極のStyle-45を形にした1本なのではないかとの考えに至る。
では、肝心のサウンドはどうだろうか。
正直に言えば、私は国産アコースティックギターに対し、やや硬質で、時に暴れがちな鳴りという先入観を持っていた。
だが、このギターの佇まいを前にすると、そうした印象は似つかわしくない
そう思いながら和音を鳴らした瞬間、その先入観は完全に吹き飛んだ。
ローズウッドの深い奥行きと、天井を照らすような透明感のある倍音。
Style-45らしい、煌びやかで密度の高いトーン。
そのサウンドは、外観の気品とまったく同じ質の“格”を持っている。
外観も、構造も、音も。
どれを取っても、特定年代のD-45を模倣しただけでは説明がつかない。
これは「百瀬恭夫が、再始動後のヘッドウェイで作り得た“特別”を詰め込んだ一本」なのだと、私は強く感じる。
晩年の Style 45—技術の結晶
2018年製 / Headway HD-450 Custom
本器は、百瀬恭夫氏の晩年期における渾身作品のひとつであり、氏が長年大切に保管してきたハカランダ材と、選び抜いたジャーマンスプルースが使用された一本である。
製作コンセプトは明確に、1968年製 Martin D-45。
マイク・ロングワース氏を中心とした再生産プロジェクトによって“伝説がふたたび息を吹き返した”D-45が戦後に復活した記念碑的な年である。この年に製作されたのはわずか 67本。
サイド&バックには今や入手困難なハカランダが使用され、ブレーシング構造や細部のディテールは戦前とは異なるものの、“新しい時代のフラッグシップ”として熱狂とともに迎えられた。
なお、1969年でハカランダの使用は(材料供給の事情等により)終了するため、ハカランダ・サイドバックのD-45は事実上1968年・1969年の2年間のみの生産。その数229本。
希少性は言うまでもない。
本器は、その“68年D-45”の思想を深く理解し、現代の技術で再構成したモデルである。
ピックガードは厚みのあるブラックを採用し、面取りを施したうえで塗装を重ねることで、当時の“塗り込みガード”の質感を巧みに再現。
ヘッド形状は1960年代の特徴である丸みを帯びた“丸ヘッド”を選択し、ゴールドのグローバー・ミルクボトルペグとの組み合わせで、1968年特有の品格をまとわせている。
ヘッドプレートには特別を象徴するトーチインレイが美しく輝く。
構造面でも徹底されている。
ブリッジプレートにはスモールサイズのハカランダ材を採用。
これはMartin社が1968年にメイプルからローズウッド系へ変更した歴史と合致する仕様である。
さらにXブレーシングの交差位置も、当時の設計を踏襲していることが確認できる。
そして、音である。
荘厳で、どこか教会の鐘を思わせるような絢爛な響き。
百瀬氏が“68年D-45”の存在意義を深く理解し、自身の技術と感性で再構築したことで生まれた気品と深さを持った一本である。
2001年製のHD-250と、2018年製のHD-450 Custom。
同じ“Style-45”でありながら、この二本を実際に比較したときの所感を書き留めておく。
まず、HD-250について感じるのは、再開期のエネルギーと誠実さだ。
当時、Headwayの工房は長い空白期間を経て再び動き出したタイミングだ。
「理想のギターを最高の形にする」という使命感を持って製作に取り組んでいたことが伺える。
HD-250には、その時期の闘志が宿っているように思える。
このギターの見た目から漂う空気感、奏でる音。
「こういうギターを作りたい」という強い意思がひしひしと伝わってくる。
それは、模倣ではなく“百瀬 恭夫が思う45像=最上位のギター“の提示だったのではないだろうか。
戦前の45やヴィンテージからも着想を得ながらも、「自分の経験と技術でここまで出来る」という誇りと挑戦が感じられる一本だ。
一方で、2018年のHD-450 Customは、まったく別の次元に立っている。
ここには敬意と技術が見事に共存している。
1968年製のD-45という明確なモチーフを掲げ、木材の選択、ブレーシング位置、ブリッジプレートの材、ヘッド形状、塗り込みガードの再現、細部のひとつひとつにMartinへのリスペクトとキャリアで培った技術が緻密に反映されている。
しかし、驚くべきはそこではない。
どれだけ本家の構造や仕様に寄り添っていても、音には確実に百瀬氏の色が残っているように感じるのだ。
それをあえて一言で言うならば、音も造りも端正に揃っていて美しい。
職人としての丹念にものづくりに臨む職人像がそのまま音になったようでもある。
HD-450 Customは「敬意と個性が両立した」一本であり、HD-250は「理想と意思」が凝縮された一本。
二十年近い年月を経て、同じ作り手が、同じStyle-45というテーマで、まったく違うアプローチを選んでいる。
この対比は、ひとりの職人の人生の歩みを覗いているような感覚すら覚える。
そして弾きながら実感する。
「どちらも模倣ではなく、作り手の血が通っている」と。
そこには「楽器は長く鳴ってこそ価値がある」という、彼の哲学が宿っていると感じる。
二本を比べれば比べるほど、
「もっと多くの作品に触れたい」
「初期から晩年まで、どのように変化し、何を守り続けたのか知りたい」
という思いが強まっていく。
あとがき
「百瀬 恭夫」
ギター製作へと身を投じ、富士弦楽器、林ギター、Headwayと歩んできたその長い軌跡のなかで、彼は“日本のアコースティックギター史そのもの”をつくり上げてきた人物の一人である。
彼の残したギターを手に取ると、まず音の整然とした美しさに心を掴まれる。
今回ご紹介した2本のアコースティックギターに限らず、そのすべてに一本の信念が通っている。
百瀬氏が制作したギターに触れれば触れるほど、その信念には一貫性があったことがわかるのではないだろうか。
2001年のHD-250と、晩年に作られた2018年のHD-450 Custom。
この二本を並べて聴き比べると、時間の流れとともに深化した“百瀬の音”が見えてくる。
HD-250に宿っていたのは、経験と情熱がピークへ向かう勢いのある力強さ。
一方でHD-450 Customには、長年の探究と静かな自信が生んだ成熟の響きがあった。
どちらも模倣ではなく、どちらも彼自身の血が脈打っている。
その変遷を感じ取れることは、ギターを扱う人間としてこの上ない幸福だとさえ思う。
そして、百瀬の歩みは、彼のそばで技術を磨いた安井雅人氏、降幡新氏ら弟子たちが、その哲学と技術を確かに受け継ぎ、さらに自らの表現を加えながら今なお息づかせている。
彼らのギターに触れると、百瀬が築いた基盤の上に、それぞれの作り手としての物語が続いていることがよくわかる。
ギターとは、不思議な存在だ。
楽器でありながら、歴史であり、作品であり、作り手の思想と魂が宿る“媒体”でもある。
百瀬氏の制作したギターはそのことを再確認できるような存在であり、今後も確実に後世へ受け継がれていくだろう。
そして私たちAdvance Guitarsも、その流れの一端を担い続けたい。
職人たちが込めた思いと技術に敬意を払いながら、次の世代にその価値をしっかりと手渡していくこと。
それが、百瀬という名工と、彼が人生を賭けて紡いだギターづくりへのささやかな恩返しになると信じている。
