TC楽器コラム
チューナーの歴史を有名ブランドと辿る旅
楽器のチューニングを合わせることは、どのような楽器を始めても最初に学ぶことであり、楽器を演奏する上で非常に大切です。
ピアノのように演奏者がチューニングを行わない楽器も存在しますが、音が正確に合っていることは楽器の基本です。
数多(あまた)の楽器がある中でも、あらゆるチューニング方法が存在し、それに対応する機材や方法が用いられてきました。
このコラムでは、エレキギターのチューナーに焦点を当てて、その歴史をめぐって参ります。
エレキギターのチューナーを語る前に、ペグの由来を少し。
もともと木製の円柱型をした木材に弦を巻き付け、別の木部に差し込み、摩擦の抵抗を利用して弦を固定していたのが、元来の「ペグ(peg)」(杭や留め具)です。 現在でもヴァイオリンなどはこの方式を利用しています。
エレキギターの世界で、日本では「ペグ」で通じますが、海外では「ペグ」では通じないことが多くございます。
金属製の弦の出現によって、あらゆる楽器は進化を遂げる形となりました。 それはガット弦が主流だったギターの世界にも、大きな変革期を迎えることになります。
元々ガット弦でも使用されていましたが、さらに強いテンションにも耐えられるチューナーとして利用されていたのがウォームギア式のチューナーで、弦や楽器によって様々な進化を遂げます。
ギター製作家の始祖としても有名な、ヨハン・ゲルオク・シュタウファー。 そのウィーンの工房で14年間修行をしていたクリスチャン・フレデリック・マーティンが創始したマーティン社も、アメリカに移住後、音楽の進化に伴う楽器の変化と共に、スティール弦のギターが基本となっていきます。 こうして「スティール弦といえばマーティン、マーティン社といえばアコースティックギター」という現在の存在となっているのです。
マーティン社でも様々なウォームギア式のチューナーが採用されていました。 (ちなみに、ウォームギアの開発者は明確ではありませんが、アルキメデスともダビンチとも言われています。)
マーティンで1834年に使用されていたチューナー
1950 Fender Broadcaster
エレキギターのチューナーを語る上では、このメーカーは欠かせません。 そのメーカーはクルーソン社です。
ジョン・クルーソンがウォーム・ギアを金属製のカバーで覆うチューナーを開発したのが1946年頃のこと。 その後、1950年にシカゴで開催されたNAMM SHOWにて、最初のソリッドエレキギターと呼ばれる「ブロードキャスター」が発表されますが、そこで使用されていたのもクルーソンのペグでした。
クルーソン社は1925年にシカゴで創業したメーカーで、上記した様に、今までギアが露出していたチューナーがほとんどの中、カバーをつけて販売された「クルーソン・デラックス」のペグが一世を風靡します。 エレキギターの歴史は、クルーソンのチューナー無しでは語ることができません。
エレキギターと言えばフェンダーとギブソンが基本ですが、どちらも最初に発売されたギターにはクルーソン社のペグを採用しています。
ここで少し脱線して、エレキギターのチューナーと言えばグローヴァー社も有名です。 グローヴァー社は、Albert Deane Goverが設立したA.D.Grover & Sonが関わっているいる会社です。
有名なチューナーは「102」で、ギアの部分を完全に密閉することで、外部からの汚れや埃に影響されずギアが安定して駆動します。 また、しっかりとハウジングされたチューナーはシャフト部分も保護しており、衝撃による過度な変形を防ぐことにも役立っています。
1865年生まれのアルバート・ディーン・グローヴァーはバンジョーの演奏家でもあり、バンジョーのチューナーも製作し50以上の特許を取得していたとの事です。
会社自体は1952年にGrossmanに買収されますが、その後もグローヴァーの名前は残り続けています。
それでは、フェンダー社とギブソン社を例に、使用されたペグをご紹介します。
フェンダー社、最初のソリッドギターと言えばブロードキャスター。 しかし「ブロードキャスター」の名前はグレッチ社が商標を持っていた為、名前の変更を余儀なくされ、「テレキャスター」へと名前を変更します。
このブロードキャスターからテレキャスターに移行する期間、ブロードキャスターの名前が入った部分を削って出荷していたギターの事を「ノーキャスター」と呼びます。
実は当店に、ただでさえ希少なノーキャスターのプロトタイプが入荷しており、正に奇跡の個体。
元々クルーソンのペグは、それまでのアコースティックギターに対応した3:3のペグがほとんどでした。
そのためフェンダー社は、当初、片側6連のペグを小さなヘッドに収めるために、取り付け用のネジ穴が開けられたペグのベース部分を加工することで応用します。
それにより、本来なら(6個で)12本のネジが必要なところを、削り合わせた隣り合うペグ同士を1個のネジで共用・固定することで、合計7本の取り付けネジで対応したのです。
当初、このペグの加工はフェンダー社で行なっていたとのことです。
フェンダー社のエレキギターのチューナの歴史
1950年最初期(クルーソン・デラックス)
カバー部分に一列に「KLUSON DELUXE」の文字が刻まれたモデル(通称:一列クルーソン)。
この「一列クルーソン」は1956年頃からのモデルにも採用されていますが、最初期型はシャフトの先端がギアを覆っているカバーを貫通していないのが大きな違いです。
止めネジはマイナスネジ。
ブロードキャスターのペグの裏の写真
1950年中期~1952年頃(クルーソン・デラックス)
ギアのカバーに刻印が無いことから「通称:ノンライン(ノーライン)」と呼ばれます。
シャフトの先端がギアを覆っているカバーを貫通していない点は、最初期型と同様です。
止めネジはマイナスネジ。
1952年中頃~1956年頃(クルーソン・デラックス)
ギアのカバーに刻印の無い「ノーライン」である点は同様です。
変更点として、シャフトがギアカバーを貫通している仕様になりました。
止めネジはマイナスネジ。
1952年製テレキャスターのヘッド裏
1956年後期~1963年後期(クルーソン・デラックス)
ギアのカバーに「KLUSON DELUXE」と一列で刻印(通称:一列クルーソン / シングルライン)。
シャフトはギアカバーを貫通しています。
止めネジはプラスネジに変更されました。
1960年製テレキャスターのヘッド裏
1963年後期頃~1967年頃(クルーソン・デラックス)
ギアのカバーに「KLUSON DELUXE」と二列で刻印(通称:二列クルーソン / ダブルライン)。
シャフトはギアカバーを貫通しています。
止めネジはプラスネジ。
1966年製ストラトキャスターのヘッド裏
1967年中期~1971年頃(初期Fキー)
ギアのカバーに「F」の文字が刻まれていることから、通称「Fキー」と呼ばれるチューナーが採用されます。
この年から、フェンダー社オリジナルのチューナーが採用されることになりました。
理由としては、それまでクルーソン社のペグを加工しながら取り付けていた手間を省く部分と、従来の(6個で)7点のネジ止めのみで固定されていたチューナーを、1個のチューナーを2個のネジでよりしっかり固定することで安定したチューニングを目指したためです。
初期のFキーは全体的に丸みを帯びた形状で、クロームメッキがほどこされています。
Fキーの製作を行ったのはレイス・アンド・オームスタッド(Race & Olmsted)社です。
同社はフェンダー社の工場の向かいに工場があった為、関係が親密でこの事からチューナーの製作を行ったとのことです。
老舗のギブソン社ですら、この当時自社のペグは製作しておらず、先駆けて自社のチューナーを開発した事はフェンダー社の開発力と実行力を如実に表す事例と言えます。
1966-1967年製ジャズマスターのヘッド裏
1971年頃~1976年中期(Fキー セカンドヴァージョン)
Fキーのセカンドヴァージョンが使用された時期です。
ファーストヴァージョンよりも全体的に角張った形状が特徴です。
ギアカバーとチューニングノブのみクロームメッキが施されています。
この時期は内部の構造が違うチューナーが見られる為、製造にレイス・アンド・オームスタッド社以外でも製作していた可能性もあります。
1970年製オールローズテレキャスターのヘッド裏
1976年前期~(シャーラー製 Fキー)
1976年前期より、ドイツのシャーラー(Schaller)社製のFキーが使用され始めます。
当時、統一前の西ドイツで製作していたことから、ペグの内部に「WEST GERMANY」の文字が打たれているのが特徴です。
1976年製ストラトキャスターのヘッド裏
ここで少しシャーラー(Schaller)社の話を
ヘルムート・シャーラー(1923-1999)によって、1945年末にドイツで設立された会社です。 記述を読むと、第二次世界大戦の荒廃からの復興という、まさに激動の中、この事業を進めてきたヘルムート・シャーラーは素晴らしい行動力をもった人物であることが伺えます。
ヘルムート・シャーラーは1946年にラジオ整備士の称号を得ており、その後1948年の通貨改革後に、再び購入できるようになったラジオの販売をおこなったとのこと。 なんと1949年ごろには、フランコニア楽器製造会社フレッド・ウィルファー(フラマス)の元で楽器用のピックアップも製作しており、もしこの当時26歳の若者が戦争によって貴重な時間を奪われなければ、どれほど早い時期にあらゆる開発がおこなわれていたかと想像すると、戦争の惨さを感じます。
フラマスの楽器専用ピックアップやアンプを製造していたシャーラーは、ヨーロッパのエレクトリック部門ではマーケットリーダーになっており、チューナーやブリッジなどのギターパーツから、トレモロやボリュームペダル、エコーやリヴァーブといったエフェクトまで、求められる全てに結果を残します。
チューナーに関しては1966年にギアを完全にハウジングしたマシンヘッド「M6」を発表。 あらゆるメーカーがこのペグを使用する中にはオベーション、ギブソン、マーティンといった有名メーカーが名を連ね、1976年ごろにはフェンダー社もその一員になります。
1977年にはフロイド・ローズが持ち込んだダブルロックシステムを共同開発し、1980年から市場に現れると同時にあらゆるギタリストがそのシステムに虜になりました。
1981年にはギターとストラップを安全に接続し、簡単に外れないシステムの「ロックピン」を開発。現在に至るまで、ストラップとギターを固定するロック式としては一番の人気を誇っています。
その後1980年代に入ってもシャーラーとの関係は続き、シャーラー製のペグは使用されますが、フェンダー独自のオーダーが入ったペグが採用されています。
WEST GERMANY刻印
ギブソン社のエレキギター
ギブソン社発のソリッドエレキギターは1952年、フェンダー社よりも遅れて市場に発売されます。ギブソン社は楽器製作で一日の長があるメーカーだった為、ソリッドエレキギターの発売にはフェンダーに対する大きな対向意識がみられます。
ギブソン社初のソリッドエレキギターの名前はレスポール。当時チャートを賑わせていたレス・ポール&メリー・フォードに目をつけたギブソン社は1950年ごろに公の場ではレスポールしか使わない契約をレスと交わします。
レスはそれ以前にもソリッドエレキギターに関する提案をギブソン社に行っていた為、レスの意見が大きく反映されたモデルとなっています。レスポールのボディトップにカーブド加工が施されているのは、当時フェンダー社にウッドカービングマシーンがなかった事で、違いを見せつける為にとの記述もございます。トラピーズテールピースやゴールドトップのカラーリングもレスのアイディア。
レス・ポール&メリー・フォード
1909年に建てられたギブソン工場
ギブソン社は1880年代よりミシガン州のカラマズーにて小さくマンドリンやギターを製作していたオービル・ヘンリー・ギブソンから始まります。その後ザ・マンドリン・ギター・マニュファクチュア・カンパニー有限会社が1902年10月11日に同カラマズーにて設立、会社はどんどん大きくなり1909年には新しい土地を手に入れ1984年のカラマズー工場閉鎖まで5回にも渡り増築され120,000フィート以上にも及ぶ大工場まで成長しました。現在では音楽をしていてギブソン社を知らない人はいない程のメーカーに成長している事は周知の事実です。
マンドリを製作していた経緯からチューナーに関しても専門的な知識のあるギブソン社はどのようなペグをエレキギターに採用したか説明いたします。
レスポールのチューナーの歴史
1952年(レスポール発売時) 搭載されたのはクルーソン(Kluson)社の「320VP」。 ギアカバーの付いた3対3の伝統的なペグで、「Klusen Deluxe」のロゴは入っていません。
チューナーのツマミ部分が樹脂でできているタイプです。 ツマミ部分の根本のコブが1つであることから「1コブクルーソン」とも呼ばれます。
1954年(レスポール・カスタム発売時) レスポールのセールス好調を受け、上級モデルとしてレスポール・カスタムが発売されます。 レスポール・カスタムに採用されたのは、やはりクルーソン社の「501VP」。 樹脂製のツマミは同様ですが、ギアを覆うカバーが縦に線の入った金属製で、その見た目から「ワッフルペグ」とも呼ばれるチューナーです。
1958年頃~1961年頃(生産終了まで) この時期のレスポール・カスタムには、グローヴァー(Grover)社の「102G」が採用されます。 グローヴァーを代表するハウジングチューナー「102」は、老舗ギブソンの上級機種に使われることでも「高級ペグ」のイメージを植え付けていく事となります。
金属カバーに「PAT.PEND.U.S.A.」と入っているのが特徴です。
1958年頃~ 1958年ごろからは同様にクルーソンの「320VP」ながら、ツマミの部分の樹脂が非常に経年劣化しやすい樹脂へと変わっており、ヴィンテージマニアの中では「シュリンクペグ」と呼ばれています。
特に1959年に使用されているペグはシュリンクが酷く、粉々になっているものも多数みられます。 これも「一コブクルーソン」です。
実はここで一旦1960年を境に、今までのシングルカット形状のレスポールは姿を消します。 当時セールス的に順風だったギターに何かおこったのか。
当時の記述では、価格が高いレスポールもセールス的には満足いく物だったが、それよりも安価なジュニアのセールスが1959年には過去最高を誇っていたとのこと。
テッド・マッカーティーによると、 「しばらくジュニア・モデルを売り込んでたら、営業部から今までとは違う、新しくてモダンなギターを作ってくれってせっかかれてね。だからこのニューシェイプモデルを作って、シングルカッタウェイは辞めることにした」 とのこと。
そのニューシェイプとは、先端の尖ったダブルカッタウェイのシェイプです。 後にSG(Solid Guitarの略)シェイプと呼ばれるこの形状は、現代の私たちであれば大きな成功を収めたギターであることは明白ですが、当時この舵きりをおこなったテッド・マッカーティーは恐ろしい才覚のある天才であったことが伺える事実です。
その後、エンドース契約を結んでいたレス・ポール氏がその新しい形状のギターを気に入らず、1963年頃にはエンドース契約を解除することに。 そのため、レスポールの名前が使えなくなったギターは「SG」へと名前を変えることとなりました。
1961年~(SGシェイプ Les Paul) 1961年からのSG(Les Paul)に搭載されたチューナーは、クルーソンの「320VP」ながら、ツマミ部分の根本のコブが2列になっている「二コブ」タイプでした。 金属のカバーには「Klusen Deluxe」のロゴが一列で入っており、「2コブ1列クルーソン」と呼ばれます。
1963年頃~(SG) その後1963年頃には、金属カバーの「Klusen Deluxe」のロゴが2列になる「2コブ2列クルーソン」に変更されます。
1968年(レスポールの復活) そこから時は過ぎ、1968年にシカゴのトレードショーにてレスポールは復活を果たします。
ギブソン社は、レスポール生産終了からエレキギターの売上自体が落ち込んでいたにも関わらず、生産終了したシングルカッタウェイのレスポールを求める声と市場での動きは活発でした。 そんな動きに敏感だったのはレス・ポール本人で、ギブソン社との再契約と新しいアイディアと共に、新たなレスポールモデルは復活を果たします。
1968年(復活時) ここでも使用されたチューナーは、スタンダードには当時と同様クルーソンの「320VP」が搭載されました。 ツマミの部分の根本のコブが2つある(通称2コブ)で、金属カバー部分に2列で「Klusen Deluxe」ロゴが入った、通称「2コブ2列クルーソン」と呼ばれるチューナーです。
カスタムには当時と同様のクルーソン「501VP」(ワッフルペグ)が使用されます。
シャーラー製のマシンヘッドM6
ギブソン社で使用されたチューナーも機種多様です。 クルーソンだけでも多くの種類が存在し、グローバーのペグもギブソン社のために製作されたモデルが多く存在します。
ギブソン社は1976年に、フェンダー社もそうだった様に、シャーラー製のチューナーを採用。 シャーラー製のチューナーは国を越え、外貨の差も物ともせず、多くの産業国のギター製品に使われていました。
チューナーの交換とパーツについて
ここまでは有名メーカーを代表してチューナーの遍歴をたどりましたが、この後は、もしチューナーを交換したいと思った時の注意点のお話を少しと、チューナーのパーツの説明を少し。
ペグボタン(ツマミ)
※ペグを回す時に触る部分
ペグポスト(シャフト)
※弦を巻き付ける部分
ペグウォーム
※ボタンの付いている軸でギアを形成している部分
ペグブッシュ
※ペグを本体に取り付ける時に本体に差し込み木部との干渉を防ぐ
ペグブッシュナット
※本体にブッシュを使わないペグで下部に取り付けたペグ本体に上部からナットをペグ本体に締め込み固定する
ペグカバー
※ギア部分を覆うカバー
ウォームホイール
※ペグの軸と噛み合う部分でギアを形成している部分
●交換したいと思っているギターのチューナーは6連タイプなのか3:3タイプなのか(例外もあります)を判断する事。ストラトやテレキャスターは6連、レスポールやSGなどは3:3なので、おおまかにフェンダー系は6連、ギブソン系は3:3と分ける事ができます。
●交換したいギターのチューナーが取り付けてあるヘッド部分に空いている穴の大きさと刺さっているブッシュの外系、ブッシュの内径を判断する。ヘッドの穴はブッシュの系でおおよそ判断が付く為、交換するチューナーのブッシュの外径と内径が合っていれば交換は可能。系の違うブッシュのチューナーを取り付けたい場合は穴を広げる作業が必要。穴が大きい場合はブッシュの取り付けができない為、穴を埋め直して穴を開け直すか、取り付けできない場合も。ブッシュの取り付けが可能でのペグシャフトの太さによってはペグ自体の取り付けができない可能性もございます。
●元々取り付けてあるチューナーがブッシュナットで、ブッシュの取り付けを必要とするチューナーへの交換を希望の場合、ヘッドのチューナーが取り付けてある穴の外周と取り付けるブッシュの外周が合っているかを確認する。合わない場合は穴を埋め直して穴を開け直すか、取り付けできない場合も。
元々付いているブッシュナットを使用しているペグ
●チューナーのシャフトの長さと取り付けるギターのヘッドの厚みを確認。ヘッドの厚みやヘッド角度によってチューナーのシャフトの長さが合わないと取り付けができても、弦を張る事ができない場合もあります。更に、テンションの問題で弦は張れても、すぐナットから弦が外れてしまうような不具合が起きる場合もありますので、フェンダー社のギターの様にヘッドに角度が付いていないギターなどは、特に注意が必要です。
●元々取り付けてあるチューナーと、これから取り付け希望のチューナーの取り付けネジの位置を確認する。位置が違う場合は取り付け穴の増設が必要となる。取り付け穴の位置が一緒でもネジ穴の系が取り付けるネジと合わない場合(元々の穴が大きい場合)はネジ穴の埋め直しも必要となる。
ペグが交換されて見えている元穴
●取り付けたいチューナーがネジを必要としない、上部のナットとチューナー本体をヘッドに挟み込んで固定するチューナーでネジを必要としない場合、チューナー側を固定する為に付いているダボの部分の加工が必要となります。シャフトの長さがヘッドの厚みに足りていても、ブッシュナットの長さが足りずにそもそも固定できない可能性もありますので、ここも注意。
ナットが噛み合って止まっている状態
ナットが噛み合わず止まっていない状態
※おおまかではありますが多くの問題となるのは取り付けるギターの穴の大きさとネジの位置、ヘッドの厚みとシャフトの長さ、かかるテンション、そもそもヘッドの大きさが合わず、希望のチューナーが入るスペースがない場合が多いと感じます。
ヴィンテージギターを使用目的で買われる方も多く、オリジナルである事はヴィンテージギターの価値をはかる上で大切ですが、やはりシャフトが曲がってチューニングしにくい、中のグリスが固着して回しにくい、ネジ穴がバカになっていてグラつくなどの問題を抱える事が多くございます。
そんな時はオリジナルを残して、新しいチューナーに交換する事は全く問題ございません。
現に1958年から1960年までのギブソンのレスポール・サンバースト、通称バーストを保有される方の多く、特に1959年製のバーストを保有されて実際に演奏に使用されている方は、そのままのチューナーではシュリンクしている物が多くほとんど使えません。
今回ご紹介したクルーソンやグローバーのチューナーはオリジナルで付いている場合も多いですが、交換される事も多いチューナーです。 ドイツのシャーラー製のチューナーがその精度と作りの良さから、1970年代世界中のメーカーで使用された様に、現在では日本のGOTOHがその多くのチューナーを製造し、世界を席巻しています。
物作りの国、日本を代表する後藤ガット有限会社のチューナーが昔のギターのチューナーに変わり交換されて、活躍しているギターの現物を現場でみるにつけ、誇りに感じているのは私だけでしょうか。
ギターのパーツは多数あり、自分好みにモディファイを施すのは非常に楽しいと感じます。当店には沢山のパーツをご用意しており、当然パーツ交換のご相談も賜っております。今回チューナーを説明させていただきましたが、今後もあらゆるパーツで、皆様のミュージックライフを楽しい物にして行きます。ピックアップのコラムも上がっておりますので、ぜひご覧くださいませ。
筆者 TC楽器 店長 松井暁
