国産のエレキベースの魅力をお伝えするこのコラムでは、時代を駆け抜けた誉れ高い国産ベースをご紹介していきたいと思います。
サムライは、現代には存在しませんが日本人の気質を表すものにサムライなる言葉によく形容されます。
もはや美的感覚さえも感じさせるこの言葉は、刀1本で敵地に乗り込み強大な敵を打ち破っていくまさに正義のヒーローの代名詞。アメリカ発祥のエレキベースを追いつけ追い越せでやってきた日本の1960年代以降の戦いの産物であるサムライベースは、今もなお色褪せることなく多くのファンを魅了し続けています。
楽器製造における重要な要因である木材を扱うことに関してその歴史は古く、工夫の歴史といっても過言ではないでしょう。
元来世界有数の森林国である日本では木造建築が盛んで、たとえば世界最古の木造建築物である法隆寺に代表されるように建築美が多数現存しています。
1000年以上もの長い年月の歴史を持つ木造建築の英知と豊富な木材、気候などの要素が、急速な発展を遂げた50年ほどの日本エレキベースの歴史にも息づいているのでしょう。
木材における独自性の面では例えば80年代頃までのモデルの多くで国内で自生する栓(セン)が使われていたりします。センは、Fenderモデルに使用されるアッシュ材と木目が似ているため80年代前期には価格帯の違いに関係なく国産各ブランドモデルに代用材として使用されていました。
そののちセンは節目が少なく加工しやすいことや、着色すると檜を思わせる上品な表情を見せることなどにより高級家具材として人気を集めました。このため価格が高騰したといわれ、現在ではほとんど楽器で使用されることはなくなってしましましたが、音はアルダーに近く癖の無い素直な音で、鬼栓という重いものはホワイトアッシュ、糠栓という軽いものはアルダーやバスウッドに比較的近いという用途の広い材です。アルダーやアッシュに比べ少々柔らかいせいか、トーン的にはかなり近いものの若干の粘りや甘さを含むものが多く、これが当時の国産ベースのサウンドに一役買っているのかも知れません。
また国産ベース躍進の背景として、経済状況的に1ドル=360円というレートが1971年まで続き、1985年前半までは1ドル200円を切ることなく推移していた背景もありアメリカ製の楽器を手にするということは非常に困難な時代であったことも関係しています。Rickenbaker4001Sが当時定価約50万円という金額は、1975年当時の社会人初任給約9万円、国鉄の初乗り運賃が30円という相場から考えても如何に高額であったかが伺い知れます。
国産高級モデルの当時定価が10~20万円ということから考えると、アメリカ製と比較しても遜色ない品質に如何に国産メーカーによる努力が行われてきたかが察せられます。
明治維新前の封建的な時代にかつて日本の勇敢なサムライ達が海を渡りニューヨークのブロードウェイを闊歩した伝説を引き合いにしてみると、そこに挑戦する姿勢やさらなる高みを目指す崇高さは現在の日本人にも通づるところの男の美学サムライ精神でしょうか。1970年代以降日本のブランドによる”海外に負けない質の高い楽器”での競争が激化していき、日本人の熱き情熱に溢れた時代に突入していきます。
サムライの血を受け継ぎ、豊かな森林資源に恵まれた我が国ニッポンの楽器作りの歴史はそう短いものではありません。アメリカで始まった電子楽器ではありますが、それに追いつけ追い越せと多くのメーカーが独自の研究、開発を続けて行きました。
今も知られる有名メーカーの中でも、最も古いひとつがYAMAHAでしょう。1887年創業、1897年に設立と既に100年以上に渡る歴史を持っています。エレキギターにおける世界的なトップブランドであるGibson社が創業を開始したのが、その7年後である1894年ですから、数ある楽器メーカーの中でもいかに長い歴史に支えられたものであるかが覗えます。そしてYAMAHAに続き1908年には星野楽器が創業を開始。エレキギターの生みの親とも言えるレオ・フェンダーが生まれる前の年のことでした。
やがて60年代に入りロックミュージックが盛んになると、国内でも幾多の楽器ブランドが設立され、それ以前からの各メーカーも電子楽器に力を注ぐようになります。早くは40年代後半から楽器の卸販売をしていた神田商会が1960年にGrecoブランドを設立。63年より販売を開始します。それまでアコースティックギターを中心に製造していた星野楽器も1962年、多満製作所(後のTAMA)を設立しエレキギターの製作を開始。Ibanezブランドの名で海外への輸出を中心に力を注ぎます。一方のYAMAHAも1966年よりエレキギターの製作を開始します。69年には斉藤楽器がFernandesブランドの名で参入し、さらに70年代に入るとAria Proを擁する荒井貿易や東海楽器が加わり、国産楽器の戦国時代へと突入して行きました。
現在国内を代表するメーカーであるGRECOは、1948年、神田商会が主に海外ギターの仲介販売会社としてスタートしました。
国内では最も早い時期から製造され、 1960年オリジナルブランドのグレコが誕生します。海外メーカーのレプリカに始まり、リーズナブルな価格で、尚かつ高いクオリティの商品を提供しようという気概に溢れた精神を貫き、 70年代にはその作りのクオリティの高さからTokaiと天下を二分するサムライブランドの旗手となりました。コピーモデルのサウンドクオリティの秀逸さもさることながら、オリジナリティにもこだわりを持つ王道的存在であり、 以降の国産モデルの大躍進になったことは周知の事実です。
日本が世界に誇るサムライバンド、ゴダイゴの吉澤 洋治 氏の愛用が有名なGRECOの伝説として語り継がれていく、ボディの鳴りを生かした作りが特徴の代表作GOBシリーズ。 |
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リッケンバッカー 4001Sコピーモデル、"プロジェクトシリーズ" PMB1000は一本通しネックの造りになっている為、弦のサステインは豊かで、メイプル材ならではの明るくキレのあるサウンドと相まって音の輪郭がクリアーな印象を強く感じます。当時定価100,000円のクラス最高級モデルは、作りやスペックからすると破格な印象もありますが、当時の相場で給料の1ヶ月分以上と考えればそれも納得。 |
1969年、斉藤楽器が文京区に設立され主に楽器卸業としてスタートしました。
全国規模まで業績を伸ばしてきた1972年に社名をフェルナンデスに変更し本格的なギター生産メーカーへと参入致します。
フェルナンデスの発展は、卸業の分野を第一のスタートとしていることもあり、ショップでの情報や顧客のニーズを的確に把握していた点が大きく、後のHardRockムーブメントと相まって大変な飛躍を遂げました。
同ブランドのアーティストモデルの代表的な 矢沢 永吉氏のシグネイチャーモデル FYB-70 は今なおファンの方々に熱狂的な人気のモデルです。 ネックはメイプルのボルトオンタイプ、JazzBassタイプのピックアップ仕様となっていてサウンドは明るく歯切れの良いサウンドです。 |
1956年に荒井貿易株式会社が設立され、1960年に自社ブランドAriaを発表。
アコースティックギターを主にスタートしますが、アコースティックと区別かをするという意味合いで1975年以降AriaProとしてオリジナルベースを主に発表していきます。中でもSuper Bassシリーズは今なお高い人気がある代表作です。
今でもコンディションの良いネックが多く制作時からのしっかりとした造りが伺えます。
当時制作に携わった松本の名工マツモク工業の精巧にして妥協のない作りが、匠のサムライとして世界の注目を集めました。類を見ない独自性と、他の追随を許さない精密な木工技術が世界を揺るがし、研ぎ澄まされたその容姿からは銘刀を思わせるほどの凜とした空気が漂います。80年代の国内でのバンドブーム時には、ほとんどのアマチュアのアーティストがAriaの楽器をその手にプロを目指して情熱を燃やしていた、そんな時代の横顔もありました。
またDURAN DURANのジョンテイラーやWhiteSnakeのニールマーレイ、METALLICAのクリフバートンらが使用していたことからも海外アーティストからの大きな評価を得ていたこともわかります。
特に秀逸なのがスルーネック構造で、当時定価60,000円クラスでも海外製の150,000円クラスに相当するスペックでかなりリーズナブルでした。 サウンドもスルーネック特有の立ち上がりの早さや豊潤なボディ鳴りをこの価格帯で堪能できるのは驚異的。上位モデルからエントリークラスに至るまで、いかに妥協なく作られていたか、当時のクラフトマンの情熱を覗い知ることができます。 |
1897年にピアノ製造を主とする日本楽器製造を設立。多岐にわたる事業で拡大していき1970年代以降 はピアノ、キーボードの分野で電子化のトップに。 最古参の老兵が持つ知恵と経験はやはり若侍など寄せ付けないだけの凄みがあります。 エレキベースでは現在も人気の高いBBシリーズが初期の代表作。それを世界標準の音としてしまうだけの説得力を持っていました。
80年代のバンドブームやコンテスト、野外ライブなどが多数行われる以前のPA事情では、出力不足をベースでカバーするためリバースPというプレシジョンタイプを逆にしたBB2000が登場。
教則DVD等なでも有名ですが多弦ベースを使いメロディックなプレイで人気の渡辺健氏(プリズム)や日本の80年代を支えた佐野賢治氏(VOWWOW)、更に今も尚刺激的なアーティストとの競演で精力的な桜井哲夫氏(カシオペア)など現在活躍が目覚ましい日本のアーティストも当時愛用していました。フュージョンなどで使う方が多く、特徴として木のクセが出にくくデジタル機器との温度差が少なく、ボディ内で振動するスルーネック構造はスラップ時の音の立ち上がりの良さもあり多くの方に愛用されています。高級モデルとして発売されたこのモデルはブラス製ブリッジ、ペグなどを用い演奏面や外観の全体を含め、日本が世界に誇るサムライベースと言えるでしょう。
1962年、星野楽器がギターやアンプなど、自社ブランドの楽器製造メーカーとして多満製作所を設立します。
戦前より「イバニエス・サルバドール」社のスペイン製ギターの輸入を行っていたことに由来しブランド名をIbanezとし、当初は輸出専門ブランドとしてスタートを始めました。徹底した市場調査により海外での趣向を的確に掴み、海外市場で認知され高い評価を得るにまで至った、成功した国産ブランドです。 それまでの既成概念にとらわれることなく、新しい発想のオリジナルモデルを発表していきます。
その後、逆輸入ブランドとして日本へ流通し、海外で高い評価の勲章を背に日本国内でも人気ブランドとして現在に至ります。
MC-924
世界のIbanez と言わしめた絶好調期に発表されたモデル、MC-924。
スルーネック構造のオリジナルシェイプで、特にローノイズでレンジの広いピックアップからは豊かな低音とスルーネックによるサステインが生み出されます。
MC-924変遷の歴史
時期により仕様が異なり、初期MC-924においてはBODY材がASH/MAHOGANYで、コントロール部は1Vol/1Tone,1Boost/Cut,3 EQ-B,3W Switchによる細かな音作りまで行える仕様となっています。その後'82年以降はピックアップの変更(SUPER4→SUPER5)により、コントロールの仕様も1Vol/1Tone 1Barancer 3EQ-Bへと変化します。
さらに材のマイナーチェンジを経て、'84年以降の後期型では、ピックアップはSUPER5からSUPER J60、コントロールは2Vol/2Toneへと変化していきます。
後期型MC-924の特徴的な部分の1つに挙げられるアクティブピックアップは、スプリットコイル・バーポールピース型ピックアップといわれるローインピーダンス出力のモデルで、シンセサイザー全盛の時代に音的な部分で埋もれることなく、人工的なサウンドながらも強力なアウトプットにより存在感を示しています。
そのオリジナリティの高いボディーシェイプと象徴する低音豊かなサウンドでIbanezの代表的なモデルとして必ずその名が挙がる伝説のサムライベースです。
国内メーカーの大半を製作してきた富士弦楽器製造株式会社は、1960年長野県松本市を拠点に発足します。設立当初の工場は牛小屋を改良したもので、ここから幾多の伝説が育まれていきました。
当初クラシックギターの生産からスタートしますが、アメリカでのエレキギターブームを見据え、翌年エレキギターに移行します。日本一を志し「富士」の名を社名に冠したサムライ魂のもと、トップメーカーの一角となると1965年のベンチャーズのブレイクによりエレキブームが到来し、他者の追従に屈することなく企業力の高い会社に成長していきます。そしてGreco、Ibanezなどを世に送り出し、その高い創造性と豊かな技術は世界の注目を集めることになります。
以降、日本人のクラフトマンの飽くなき探求により、普及品であるはずの「複製」の品質向上を積み重ねていった結果、フジゲンの技術水準は、やがて米国を凌ぐ域にまで達するようになっていました。
1982年、富士弦楽器製造株式会社は米国の二大メーカーのひとつFender社と提携し、Fender JapanとしてOEM生産することになりました。模倣から始まり、本家に認められたmade in japan。やがて世界中より高い評価を得る事になります。
本国のモデルの追従に終わることなく、ニーズに合わせたモデル展開は何より国内メーカーの成せる利点でしょう。私も1本持っていますが、とにかくネックが強い印象があります。
現在でも曲がることなく、日本の気候に適して作られていることを改めて実感いたします。
サウンド自体もアメリカ製と遜色なく丁寧な作りです。
そもそもは憧れから、そしてやがては世界に追いつけ追い越せという勢いで加速していったサムライベースの軌跡。それが世界のトップブランドであったFenderのパテントを得て、Fender Japanを設立させるに至ったこと。それは日本の楽器製造技術が世界に肩を並べた瞬間でした。常に高い志に支えられていた日本のクラフトマン達にとって、最もモチベーションが向上する出来事であったことは想像に難くありません。本家フェンダーUSAの諸事情あっての経緯であることはともかく、今こそサムライスピリットが世界を駆け巡る時とばかりに、その叡智が結集されたのでしょう。今でも、当時の製品を手にするとそんな頂点の気概を感じることができ、そのあたりが現在、当時の定価を上回る価格で市場で人気となっている理由のひとつなのかも知れません。
そんなFender Japanの気概は今に受け継がれ、気高いスピリットを持った製品を作り続けていると同時に、海外からも高い評価を集めています。
近年、1970~1980年代に製造された国産ベースを再評価する声が高まっています。オリジナルに加え高い人気のフェンダー、リッケンバッカーなどのコピーモデルは外観もさることながらサウンドや楽器自体の品質が非常に高く、楽器店やオークションでも定価やそれ以上の価格となって流通しています。人気がある高級モデルは製作本数が少なく、30~40年も前の製造で現存する数が少なく希少性があることや国内外のミュージシャンが70~80年代の日本製ギターを実際に使い始め雑誌等で取り上げられたことが大きな要因です。当時の目本製ギターはコピーモデル戦争に明け暮れ採算度外視ともいえるような品質の高い楽器を作っていたため作りも良く、肝心の音質もアメリカ製顔負けのものがあったようです。ただ古い国産モデルのすべてが良質というわけではないので適正な商品価格、メンテナンスの安心できるお店での購入をお勧めします。
THE 中古楽器屋では、サムライヴィンテージを今後も豊富に取り揃えていきますので楽器を売りたい方、買いたい方に足を運んでいただけますようにさらなる充実を目指してまいりますのでご来店心よりお待ちいたしています。
長々とお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。