アドバンスギターズ星野のフォーク紀行
〜フォークソングとアコースティックギターたち〜
第4回 遠藤賢司
こんにちは。
東京・新宿区(新大久保)にあるAdvance Guitarsの星野と申します。
本連載は、1960年代後半から70年代にかけて日本中を熱狂させた「フォークソング」、そして80年代のニューミュージックへと至るまでの軌跡の中で、あの名曲たちが「果たして誰の?、どんなアコースティックギターで奏でられていたのか?」という純粋な疑問から『アドバンスギターズ星野のフォーク紀行 〜フォークソングとアコースティックギターたち〜』にてフォークソングのアーティストや使用ギターにフォーカスを当てて紹介します。
名曲の裏側で、どんなギターが、どんな意図で選ばれ、どんな音色で鳴っていたのか。
私は、プロの楽器店員としてのマニアックな視点と、純粋な音楽ファンとしての探求心を執筆する中で知識を深めていきます。
第4回:「孤高の天才」遠藤賢司と、魂を共鳴させるアコースティックギターたち
「アコースティックギター」と聞くと、多くの人は「静かで優しい音」をイメージするかもしれません。しかし、遠藤賢司氏(愛称:エンケン)の鳴らすギターは、そのイメージを1秒でぶち壊します。遠藤賢司氏が吉祥寺の街でどんなギターを愛し、どのようにしてあの唯一無二の「爆音」を生み出していたのか。彼とギターの熱い関係を紐解いていきます。
1969年、遠藤賢司氏は「ほんとだよ/猫が眠ってる」でデビュー。
その中でも「ほんとだよ」はフィンガースタイルで演奏され、EmとDコードのみで構成されたまるでブルースのような印象を与える楽曲です。
トニック(Em)とドミナント(D)で構成することで曲はシンプルながらも楽曲は安定と不安定さを繰り返しながら遠藤賢司氏の情熱ある歌声が歌詞と共に耳に入ってくるなと感じました。
遠藤賢司氏がデビューした1969年といえば、高石ともや氏や岡林信康氏をはじめとするプロテストソング(反戦運動や学生運動を背景にした曲)が民衆の間で盛んになっている年でもあり、フォークギターを手にするアーティストは時代背景に溶け込むように熱い思いや情熱を歌にぶつけていたのに対し、遠藤賢司氏は「純音楽」という信念のもと自身から湧き上がる純粋な感情や個人の日常を歌に込めて発信するスタンスでステージに上がっていました。
それを表す曲として挙げられるのが1972年にリリースされた「カレーライス」ではないでしょうか。
歌詞を見るとカレーライスを作る日常が描かれていますが、歌詞の一部に「僕は寝転んでテレビを見てるよ、そしたら誰かがぱっとお腹を切っちゃったって」といった、1971年に社会現象として話題になった「三島事件」を取り入れていたりとプロテストソングとはまったく別の角度で歌っていることが伺える1曲です。
「カレーライス(1971年)アルバムVer」のレコーディングには、はっぴいえんどのメンバー(細野晴臣氏、鈴木茂氏、松本隆氏)が参加し、アコースティックギター中心の構成なのに対し、1972年のシングルVerには、はっぴいえんどのメンバーに加え、ヴァイオリンとして武川雅寛氏が加わり、情感ある構成になっているのが面白いところです。
カルチャーの移り変わり、新宿から吉祥寺へ
1960年後半から1970年初頭にかけて東京都の新宿ではフォークゲリラや学生運動による若者の熱気で溢れていましたが、次第に国家権力の規制が厳しくなり殺伐とした空気になっていきます。
反戦や労働歌を歌に込めて表現していた民衆達は自由に表現できる場を求めて中央線沿いに集まるようになります。
1970年代の吉祥寺は現在のような大型商業施設が立ち並び、家賃相場が高い人気の街とは違い、緑豊かで静かな郊外の街に加え家賃が現在よりも約5倍〜7倍も安く、若いミュージシャンや漫画家、劇団員などがこぞって移り住み、自然と芸術家によるコミュニティーが広がっていったと言われています。
遠藤賢司氏は吉祥寺を拠点に自身の音楽を広めていきますが、その背景には伝説と呼ばれるロック喫茶の存在がありました。
「ロック喫茶 OZ(オズ)」
1972年6月にオープンし、遠藤賢司氏やサディスティック・ミカ・バンド、南正人氏、裸のラリーズをはじめとする名だたるアーティストが出演。
1973年9月、約1年3ヶ月で閉店となりましたが、アングラ・ロック史に残る聖地として多くのファンに愛されました。
「ロック喫茶 OZ(オズ)」の由来は名作「The Wizard of Oz(オズの魔法使い)」と1960年代〜1970年代にロンドンの若者文化を牽引し、サイケデリックなアートに加え、アングラ思想を推進する内容を発信した雑誌「OZ」が由来のようです。
その後も「STAR PINE'S CAFE」「ぐゎらん堂」などで精力的に活動。
特に、ぐゎらん堂(通称:BLUES HALL/武蔵野火薬庫ぐゎらん堂)では遠藤賢司氏だけでなく、高田渡氏や友部正人氏といった当時の中央線沿いエリアで活動していたアーティストが熱いライブを繰り広げていました。
また、遠藤賢司氏は、ぐゎらん堂に集うミュージシャンたちによって結成された「武蔵野タンポポ団」に参加したり、デビュー前だった古井戸(加奈崎芳太郎氏と仲井戸麗市氏とのデュオ)とライブを行い、アングラフォーク史にその名を刻んでいきました。
遠藤賢司氏がその生涯で手にした数々の楽器は、単なる道具ではなく、彼の生命の叫びを表現するための体の一部だったではないでしょうか。
ギター1本で世界と対峙し続けた彼だが、その音楽の根底にあったのは、限りなく優しく、そして極めてプライベートな眼差だったのではないかと想像しました。
その眼差しが最も色濃く注がれたのが、彼がこよなく愛した街『吉祥寺』だったのではないかと感じます。
そして何より、彼の張り詰めた表現を優しく解きほぐしていたのは、愛猫「寝図美(ねずみ)」の存在でした。
「ネズミを捕るのが得意な猫になってほしい」と名付けられた「寝図美」ですが、後に大家さんに見つかって飼えなくなってしまい、はっぴいえんどの細野晴臣氏のもとに預けられて大切に育てられたとのエピソードがあります。
言葉を持たない小さな命と心を通わせる穏やかな時間は、彼に無限のインスピレーションと、音楽への無垢なエネルギーを与え続けました。
吉祥寺の街角、そして気まぐれに甘える猫の気配。
宇宙を揺るがすような大音響を鳴らした遠藤賢司氏の音楽の出発点には、いつもこうした、愛おしい日常の断片が確かに存在していたのだと感じました。
魂をかき鳴らす轟音の相棒。不滅の「エンケン・サウンド」を支えた名器たち
自らを「純音楽家」と称したエンケンこと遠藤賢司氏のステージは、ギターと対話するように魂の演奏を繰り広げていました。叩きつけられるようなピッキングによって削り取られたボディは、彼が放った情熱の深さをそのまま物語っています。フォークという枠を完全に超越したあの「爆音」は、一体どんな名器から生み出されていたのか。彼の魂の叫びを拡声し続けた、唯一無二の名機に迫ります。
1966年製 YAMAHA FG180(Light Green Label) 前期型
遠藤賢司氏が1966年に1本目として購入したのがYAMAHA F180(通称:山葉一郎)です。
デビューシングル「ほんとだよ / 猫が眠ってる」はこのギターで作曲されたようです。
合板のボディならではの頑丈さと豪快なサウンドは遠藤賢司氏が求めるサウンドにマッチしたのかもしれません。
それを証拠に遠藤賢司氏は他にも3本のYAMAHA FG180を所有されています。(山葉二郎、山葉三郎、山葉四郎)
山葉二郎、三郎はいずれもRed Labelの個体で、激しい演奏を物語るようにサウンドホール周りにはピッキングにるダメージが確認できます。
遠藤賢司氏のYAMAHA FG180(山葉一郎)はロゴがYAMAHAロゴであることから前期型、YAMAHA FG180(山葉二郎、三郎)はいずれも前期型、YAMAHA FG180(山葉四郎)はロゴが音叉のことから後期型ということが分かります。
※写真はイメージです。(1966~1967年 YAMAHA FG-180 "Light Green Label")
1966年製 Martin D-35
このギターが遠藤賢司氏の元に来たのは1970年の4月。
元のオーナーである岡林信康氏から譲り受けたとされるMartin D-35。
このギターは遠藤賢司氏にとって2本目のギターといういうこともあってか、多くのステージにて使用されたました。
それを表すように遠藤賢司氏が所有するD-35のサウンドホール周りには力強い演奏を感じさせるピッキングによる傷が残っています。
※写真はイメージです。(1969年製 Martin D-35)
1967年製 Martin D-18
1999年発売のアルバム『エンケンの四畳半ロック』収録の「雨あがりのビル街」にて使用されたとされる1本。
1966年のD-18の仕様変更として挙げられるのがピックガードの仕様変更です。
べっ甲柄のピックガードからブラックのピックガードに仕様が変わっていきますが、遠藤賢司氏の所有するD-18はべっ甲柄なことから、おそらく仕様変更前の1967年初期のモデルではないかと推測します。
また、1967年はネックに仕込まれたトラスロッドがTスチールバーからスクエアロッドに切り替わりますが、ピックガードの仕様などを考えると、Tスチールバーではないかと考えられます。
※写真はイメージです。(1967年製 Martin D-18)
1970年代 Martin D-28S
俳優の佐野史郎氏がハワイで購入した本機を後に遠藤賢司氏が購入したとされる1本。
スロテッドヘッドに12Fジョイント、なで肩のボディシェイプが特徴のD-28Sですが、遠藤賢司氏が所有しているD-28Sはペグがクローズドバック・ペグを採用し、レギュラーモデルとして販売された1967年〜1970年頃まではオープンバック・ペグなことから1970年代の個体ではないかと推測しました。
※写真はイメージです。(1970年製 Martin D-28S)
遠藤賢司氏を知って...
60年代〜70年はフォークゲリラなどで新宿の西口地下広場では民衆たちの熱い議論が交わされていたことは高石ともや氏のコラムでご紹介しましたが、「なぜ吉祥寺だったんだろう?」と調べはじめると、武蔵野市の自然と現在とは違う物価から徐々に芸術家のコミュニティーが生まれたことを知りました。
私もプライベートでは吉祥寺の街並みが好きでによく遊びに行くのですが、遠藤賢司氏と強い関わりのあった吉祥寺というのを知り、より当時の環境や出演していたライブハウスの跡地などを巡ってみたいなと感じるようになりました。また、猫をこよなく愛していたこともコラムを書いて知りましたが、遠藤賢司氏が部屋から猫じゃらしを使って野良猫と遊ぶ写真も拝見し微笑ましい気持ちになりました。愛猫「寝図美」に海を見せる際、乗車する横須賀線の切符を寝図美の分まで購入したというストーリーを見て、我が子のように愛していたんだなと感じました。
まだまだフォークの世界は奥深さの面白さや、出勤時のプレイリストがフォークソングでいっぱいになるのも楽しみの1つです。
今後はどんな新たなアーティストに出会えるのか乞うご期待です。
今後も取り扱って欲しいミュージシャンやフォークソングにまつわるお話など、皆様からのリクエストをお待ちしております。 私にとっては「当時実際に目にした」「あのコンサートでこのギターの音を聴いた」というような生のお話はとても貴重で、何よりの教科書です。 もしよろしければ、ぜひアドバンスギターズ 星野までご連絡ください。
✉️ aco@tcgakki.com
それでは、次回の『星野のフォーク紀行』でまたお会いしましょう!
この記事を書いた人:星野(アドバンスギターズ)
2025年1月TC楽器入社。主にエレキギターでインストゥルメンタルを中心に演奏しながら、ギターのニュアンスや表現力を追求しています。
好きなアーティストはB'z、Gary Moore、Allen Hindsなど。
趣味はコピックを使用してイラストを描くことです。
保有資格・実績: 楽器販売員歴10年、楽器鑑定士歴2年
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